くるま情報発信サイト 【 雑 記 】

雑 記 3

このページでは ただ思いつくままに車以外のことも書きます。
登場人物を始めとして 内容についてはかなりフィクション性が強くなると思いますので ”お気に入り”に登録したり、”他の方”にすすめたりしないようにお願いします。(笑)
(他のページは真面目に作っていますので誤解のないように・・・。 2007年9月25日記)

登場人物

 私

 トンちゃん・・メル友(たぶん女性?)

 その他

2008年5月25日

こんにちは 元気ですか

ある日の会話より

お客様; 「社長! 随分書類が積み重なっているね(暗に散らかっているね、の意)」
私   ; 一瞬あわてるも 
      「ええ、昔学校の先生が ”みんな!社会へ出たら なんでも積み重ねが大事
      だよ。”って言われたものですから、つい・・・(冷汗)」
お客様; 「うそつけ! 笑」
私   ; 「アッハッハッハー」


今週はちょっと整理整頓をしないとー。
 それでは・・

     

2008年6月1日

こんにちは

 先週のとある日、朝の8時頃、一人のお客様と話をしていたとき もう一人のお客様の来社がありました。 初めての方でないことはすぐにわかったのですが 名前をすぐに思い出せなくてちょっと躊躇して いると
「2年前にお世話になった長野のFです。」
「長野」と聞いてすぐに記憶がよみがえりました。近くにある有名な霊水を定期的に汲みに 来ている方で 2年前に我社の近くで燃料パイプから燃料もれを起こして修理依頼があった 年配の男性でした。 本来だと代車を出して車をお預かりするのですが 県外の方なのでそれもままならず 他の仕事そっち のけで その車を修理した思い出があります。後日、わざわざ”長野のりんご”を1箱も送って いただいたのですが お礼を言う前に住所を書いてあったりんご箱を失くしてしまい、それ以来 ズーッと心の片隅に引っかかっていました。名前と顔は正直に言うとかなり記憶があいまいに なっていたのですが 「長野」の地名を聞いた途端に その時のことが鮮やかによみがえってきたの です。居合わせた他のお客様の奥さんが 「長野出身」ということもあって話がはずみ、5分ぐらい 話することができました。ただ 車の運転席に息子さんが待っていることもあって いつまでも話する ことは許されず、お互いの健康と また再会できることを約束して見送りをしました。
” うれしいですね ” こんな出会いがあるとー。
こんなときは自分の仕事をやっていて一番、幸せを感じるときです。

 それでは・・

2008年6月8日

こんにちは

 いつの間に住み着いたのか、気が付いたら工場の天井クレーンのレールであるH型鋼にしっかり つばめの巣が作ってありました。最近は朝出かけてくると もう「早くシャッターを開けてくれ!」と 言わんばかりに体の近くまで飛んできます。去年までこんなことはなかったのですがついに ”恐れて いたことが起きた”という感じです。「できれば住み着いてほしくなかった」というのが正直なところ です。つばめはかわいいのですがお客様の車の屋根にポトリ! これが困るのです。きのうも車を 取りに来られたお客様の屋根にそのやっかいものがー、あわててお客様に
「すぐに洗います」
と言ったのですが もう乗り込んでしまっていたお客様は
「いいです、いいです、家に帰って洗いますから」
とのこと。冷や汗ものでした。お客様を見送ってから天井にいるつばめに”抗議の視線”を向けると  一瞬ですが目をそらしたような気がしました。
”やっぱり 身に覚えがあるようです”(笑)
その後は何もなかったように、そして まるで自分の家のようにまたスイスイと工場を出入りしています。 この戦い、もうしばらく続きそうですが 私の感にまちがいなければあのつばめ夫婦、きっとこんな ふうに思っているはずです。
「もう少しここに居スワロー」っとー。 (爆)

 それでは・・

 

2008年6月15日

こんにちは

部屋の掃除と廊下の拭き掃除も終わり
着替えもタンスにしまってOK!
窓を少し開けていつものように朝の風を入れ
忘れ物がないか確認して 準備万端!
心に気合(?)をいれて おもむろに戸をあけ
廊下に出てみたが なぜかシ〜ンとしている。
”みんな 寝坊助だな”っと思いながら
「行ってくるよ」っと少し大きめの声で一言、
しばらくすると女房殿が目をこすりながら
「こんな朝早く どこへいくのー」
「どこへ?って もちろん会社へ」
「まだ 5時50分だよ」
「えーっ!」っと言いながら部屋の時計を確認すると
間違いなく、5時50分!
1時間も早く起きてしまっていたのである。
(4時50分に起きたようだ)
その後のバツの悪かったこと・・
このことは予想通り、女房の口から家族みんなに伝わり
しばらくは我家の話題No1になりそうである。(爆)

 それでは・・

2008年6月22日

こんにちは

 先週のある夜、足に焼けるような熱さを感じて
二度、目が覚めました。
おまけに朝起きたら汗ビッショリ!
よく考えたら まだ冬の布団を着て
いたのです。(笑)
そこで
「もう そろそろ・・」っとお願いしたら
次の夜は あの布団が片付けられて
うす〜い布(名前がわからない)が一枚、
去年は この布の前に中間の厚さのものが出たような
気がしたのですが 昨晩の熱さを思えば
「まっ、いいか!」っと眠りの底へー。
しかし 運の悪いことにその日は雲ひとつない夜空、
今度は寒さのため 二度、目が覚めてしまいました。(笑)

 地球の気象が激変している折、どんな熱さ、寒さにも
負けない全天候型(オールシーズンタイプ)を目指して
私は 今日も自分を鍛えるのです。(笑)
 っと言いつつも 「でも あの中間の布団、どこへいったのかな?」
(いたってあきらめが悪い・・・爆)

 それでは・・

2008年6月29日

こんにちは

 長く仕事をしていると 首をかしげたくなるような不思議のことに出会うことがあります。 今日はヘビに関する話を2題、送ります。

だいぶ前の話になります。 友達から「軽トラックが頻繁にエンストするので見て欲しい」 との 依頼がありました。さっそく 車を引き取りに行ったのですが 時間が経った話なので その時に症状を確認できたか、どうかは覚えていません。とにかく 工場へ入れて点検を始めたのですが エンジンの上にあるカバー取ってビックリ! エンジンの上に「ヘビ様」がとぐろを巻いていたのです。 今となってはどうしてあの熱いエンジンの上にいることができたのか、よく分からないのですが とにかく 恐る々々「ヘビ様」に退場(?)願いました。そのあとは念入りに各部の点検をして エンストの 原因らしきものは見つからなかったので 事情を話して友達に納車をしました。後日 「その後エンストは しなくなった」との電話がありました。
 やっぱり あのエンストの原因は「ヘビ様」が・・(笑)

 次の話は コンクリートミキサー車(生コン車)の運転手さんから聞いた話です。
ある山道を走行していたとき 突然 横から出てきたヘビを避け切れなくて轢いてしまったらしいの です。「かわいそうなことをした」と思いながら仕事を続けていたのですが 年に一度か、二度しかない タイヤのパンクが その日に限って二度もあったそうです。パンクの度にふもとからパンクの出張修理を 頼まなくてはならなかったので 大変な一日になった、とのことでした。
 やっぱり このパンクの原因も「ヘビ様」が・・(笑)

最近の車はモノコック構造の車体が多いのですが 以前はフレームを使った車体構造を持った車が 主流でした。そんな車のエンジン点検をしていたとき フレームの穴からヘビがニョッコリ、顔に 触れんばかりの近さに来たのには ビックリしました。今となっては笑い話になりますが エンジンルーム内を点検するとき 時々思い出すことがあります。(ヘビだけどトラウマ?・・笑)
 そのヘビも最近はほとんど見なくなりました。自然環境の変化なのか、生態系の変化なのか、ちょっと 気になるところです。

 それでは・・

2008年7月6日

ある日の会話より

「さて 電話をしないと、え〜と 森さん 森さん ・・・ 」
っと横から女房が
「お宮さんにお金を包みたいんだけどー」
「えっ!なにか?」
「千円札って、人物描いてある方が表だったっけ?」
「たぶんそうだとおもうけど。 確か、野口英世さんだったかな?」
「やっぱりか、じゃこっちが表だね」
「さてと 電話をしないとー、え〜と 野口さん 野口さん ・・・ えっ?」
悲しいかな、これはほんとうにあった話です。
梅雨も本格的に、どうも私の脳みそは???(大笑)

 それでは・・

2008年7月13日

こんにちは

 今年も富山県内で行われている「社会に学ぶ 14歳の挑戦」が 我社でも7月7日よりありました。 この「14歳の挑戦」は中学二年生が実際に各職場で働いて 色々な体験をすることを目的としています。 我社では 毎年2名の子供さんを預かって車の整備工場としての仕事を体験してもらっています。 期間は5日間と短いのですが 初めて社会に出て働くことを経験する生徒さんにとっては長い5日間かも 知れません。最初はまず社会人としての言葉遣いや礼儀、マナーを覚えてもらいます。それから 実際の 車の仕事に関しては 洗車やワックスがけ、タイヤやオイル交換など なるべく多くの仕事に触れて もらうようにしています。また国土交通省や軽四の検査場の見学を行い、車が安全に走れる仕組みも 学んでもらっています。
 最初、声の小さかった生徒さんも 日を重ねるごとにはっきりとした声が出るようになってきます。 また 「活動日誌」に親御さんからの意見で 「子供が素直になった」とか「話をしてくれるように なった」と書いてあると ほんとうにうれしくなります。こんな声を聞くと 生徒さんがケガをしたら・・、事故があったら ・・、っと 毎年思わないことはないのですが やはり来年も来てもらおうっと思うのです。
 これから いろんなことを経験していく生徒さんにとっては この短い5日間、このちっちゃな 工場の体験はすぐに忘れてしまうかもしれません。でも 一瞬であれ、働くことの大切さ、親御さんへの 感謝の気持ちを感じてくれればそれで良い、っと思いながら 今年も帰って行く生徒さんを見送りました。
 この「14歳の挑戦」が終わると もうすぐに梅雨が明け、真夏の太陽の季節になります。

 それでは・・

 

2008年7月20日

こんにちは

 きょうは 歯の痛みに耐えながらこのメールを書いています。
先週 あまりの痛さに(3週間ガマンしていた・・笑)歯医者に行ってきたのですが レントゲンの結果、 左上の奥歯がグラグラしていて 完全な歯槽膿漏だそうです。歯は年齢の割には虫歯はなく 自分でひそかに 自慢していたのですが 歯の土台になる歯茎がやられてしまったようです。一日に4回は歯を磨き、年に 1〜2回は必ず歯石を取りに行ってたのですが 奥歯はあまり丁寧に磨いていなかったような気もします。 とにかく 「一番奥の歯は抜かなければいけない」っと宣告を受けてしまいました。23日に予約を入れて 来たのですが この痛みを考えるとそれまでもつか、気が遠くなりそうです。しかし 反面その日が なるべく来なければいいな、という気持ちもあります。っと言うのは私には他人に言えない重大(?)な 秘密があるのです。(笑)
 だいぶ以前になります。そのことに気づいたのは・・。「キーン」と音を出して歯を削られることも 歯石を「ガリガリ」を取られることも全然平気なんです。ただし あの歯を削るときの水がいけないの です。水がのどの奥にたまるとなぜか息ができなくなってしまいます。水は時々吸い取ってもらっているようですが 自分の舌か、のどち×こが鼻の呼吸路をふさいでしまうようです。しばらくは息をしなくてもガマン できるのですが 治療が長引くとそれこそ川で溺れたような状態になってしまいます。体をばたつかせて 水を吹き返してしまいますから 治療をしている女性もビックリ!最初は好意的に見てくれたこの女性も あまりに何度も治療が中断するので だんだんいらいらしてくるのが 目を閉じている私にも分かります。 ”申し訳ない”と思うのですが でもどうしてもできないのです。っでどうなるかと言うと、女性の 怒りは頂点に達し、私の顔を右に向けるとき、両手で強くはさみ、首が”ゴキッ”と音をたてるのでは ないかと思うくらい勢いよくひねられてしまいました。彼女にとって私はもう患者ではないようです。
そんな こんなをしていた歯の治療もようやく終わり、横になっていた治療用のイスを縦にするとき、 彼女の最後の一撃が待っていました。
「先生!この人 鼻呼吸ができないんですよ」っと。それも病院中に聞こえるような大きな声で・・。
私はまるでノックアウトパンチで敗れたボクサーのように身も心もズタズタになって治療室を後に しなければいけなかったのです。(歯医者で敗者に・・などと言ってる余裕もなく) さて なんとか終わってホッとした気持ちで待合室のドアを開けると あの大きな声を聞いたみんなから 視線を一身に集めてしまいました。特に小学生ぐらいの男の子から見られたときは 再び顔から火が でるような恥ずかしさを覚えなくてはいけません。「小学生にできることが 私にできない・・ 」 この時から「歯医者」は自分にとって最も行きたくない場所になったのです。しかし この痛みから 逃れるには やっぱり3日後に行かなきゃいけないのでしょうね・・(憂鬱)

 それでは・・

2008年7月27日

ある日の会話より

お客様;「ほんとうに暑いね!」
私   ;「そうですね、もう30度以上ですか」
お客様;「やっぱり、地球温暖化かな」
私   ;「そうですね、たぶん」
お客様;「仕事も減ってるし、これからは大変だ」
私   ;「そうですね、物価も上がっているし」
お客様;「うちのように貧乏でお金がないとー」
私   ;「そうですよね、ほんとうに・・えっ!そんなー」(冷汗)
 その後はしどろもどろの私でした。(笑)

 どうも 会話中に「そうですね」を使うのが私のクセになっているようです。でも 相手の話をしっかり 聞いて返答しないととんでもない結果になるようですね。話の流れでとは言え、あのお客様、 だいぶ気分を害されたのでは・・(やや心配)

 それでは・・

2008年8月3日

ある夏の日

 何ヶ月に一度、会社の前の道を 牛を載せたトラックが通ります。 アルミボディの上部から顔が見えるので分かるのですが この車を見るたびになぜか切なくなって 昔聞いた歌を思い出します。(かなり前なので歌詞が違っているはず)

♪ある晴れた 昼さがり
 市場へ続く道
 荷馬車がゴトゴト
 子牛を乗せて行く
 何も知らない 子牛にさえ
 売られて行くのがわかるのだろうか
 ドナ ドナ ドナ ド〜ナ
 悲しみをたたえ
 ドナ ドナ ドナ ド〜ナ
 はかない いのち♪

 夜も7時を過ぎると 前を通る車もかなり少なくなります。(村の夜は早い・・笑)
あたりも暗くなってきて静かになると かえってあの車のことが鮮明に思い出されるのです。
あの牛がいまどこにいるのか、
あの牛のこれからの運命は、
あの狭い隙間から見える景色を あの牛はどんな思いで見ていたのであろうか、
そんなことを考えていたら 胸が締め付けられるような気持ちになります。
”生きるためとは言え 人間とは・・”
そんなときに 突然の電話がー、
「ご飯できたよ!肉焼いたから早く来てよ!」
「えっ!よりによってこんな日に肉をー」
っと言いつつも 帰り支度を急ぐ私、
たぶんまちがいなく 15分後には食卓の前で別人になっている私です。(残念!)

 それでは・・

2008年8月10日

こんにちは

「おじいちゃん、夜 ピカッっと光るものを見たよ」
「えっ!光るもの?何かな?昨日の夜はカミナリは鳴っていなかったし マー君、最近良く花火をするから 花火の夢でも見たのかな」
「ピカッっと光ったよ」
「昨日はオリンピックの開会式があったから テレビの花火が マー君の目に映ったのかな?マー君、オリンピックってすごいんだよ。 たくさんの人が集まってスポーツをするんだよ、 野球もあるし、サッカーもあるし、それから かけっこもあるし、 いっぱいスポーツがあるんだよ、」
「マー君は何がやりたいのかな?」
「花火をやるっ!」
「(マー君、花火はスポーツじゃないんだけど・・)」
っと言いかけたが キラキラ、目を輝かせて答える二歳五ヶ月の孫を見たら そんな夢もいいかとー。

最近の自分は”メダルの色”とか”順位”にとらわれ過ぎてオリンピックを見ていたような 気がします。小さな孫に教えられた一瞬でした。

 それでは・・

2008年8月17日

こんにちは

 私のパソコンがインターネットにつながらなくなってしまいました。。
原因はたぶん2日前に落ちたカミナリだと思われます。自宅から見ていて事務所の方向に 空から地にほぼ一直線に落ちるカミナリを見ていたからです。事務所から少し離れた山の方に 落ちたような気がしていたので影響は無い、と安心していたのですが どうも以前にカミナリに 入られたときと同じ症状なので まず間違いないと思われます。以前の苦い経験から 最近は帰るときに できる限りの配線を抜いてはいたのですが 電話回線とか外せない部分が あるので ごく近くにカミナリが落ちたときは”打つ手無し”という状態です。
 私の子供の頃もよくカミナリは落ちましたが こんなに多くは無かったような気がします。 ちょっと気になるところです。それから これまでにカミナリを観察した結果、カミナリの落ちる 方向が意外と同じだということを見つけました。カミナリ発生の元になる積乱雲がいつも同じ 所に立ち昇るのも何年か前に発見(?)しました。ソフトクリームのような積乱雲が発生する 場所は この地に限って言えば 山の位置と関係があるようです。このように積乱雲が生まれる 場所が同じだから カミナリの落ちる方向が同じなのか、それとも空間にカミナリの走りやすい 道があるのか、はたまたカミナリの落ちる地面に原因があるのか、などなどと考えていたら このお盆休みが あっと言う間に それこそカミナリの稲妻より早く過ぎ去って行きそうです。 休み前は あれもやりたい!これもやりたい!っと一応考えてはいたのですがー(笑)

 それでは・・

2008年8月24日

こんにちは

 暑い暑いと言ってたのに いつの間にか朝晩めっきり涼しくなりました。
チョット時期を逸したような気がしないでもないのですが きょうは背筋が寒くなるような 少し怖い話を送ります。
 その話は私がまだ独身、20代のときのことです。当時の私は仕事を終えてから 夜間の学校に通っていた時期が ありました。学校から自宅まで帰路は20km以上ありましたが その途中に中学校時代の 友達が結婚してアパートに住んでいました。一日が終わった開放感もあって  (時間が遅くなるのでいつも悪いと思いながらも) ついつい寄ってしまう自分でした。彼の奥さんは県外で結婚したあと、こちらに住むことに なったので知り合いも少なく、そんな事情もあってか いつも快く迎えてくれました。ただ  この訪問では少し困ったことがありました。それは  私が行くと野球の「ジャイアンツ」がいつも負けるのです。4点差があっても私がテレビを 見るとあっさり逆転負けしたり、9回ツウアウトからサヨナラホームランを打たれたり、っと とにかく散々の結果になるのです。関東出身で熱烈な「ジャイアンツファン」である奥さんが 私の訪問とジャイアンツの無残な負け方に関係があることに気づくのにそんなに時間はかかり ませんでした。(笑)
 とにかく テレビで「ジャイアンツ戦」があるときは 彼のアパートを訪ねないのが一番の 方策でした。(そのジンクスは今でも続いています。かなりの確率でー) もちろん きょうの 「少し怖い話」は この 私とジャイアンツの因縁(?)の話ではありません。それは いつものように彼を訪ねたある日、彼が押入れから取り出した一冊のアルバムを見せてくれた ことから始まりました。 彼にしてみれば結婚式の写真を見せたい気持ちがあったのでしょう。私はアルバムを めくりながらしばらく見続けていました。そしてページも終わりにかかった時、奇妙な写真が あるのに気づいたのです。「少し怖い話」→「奇妙な写真」と書くと その写真に「心霊現象」が 写っていた、と普通はなるのですが そうではないのです。そこにあったのはそのアルバムに ”場違い”と思えるような「きれいな女性」の写真だったのです。どう見ても奥さんではありません。 私はけげんそうな顔で彼を見ると彼もはっ!と気がついたらしく ちょっとあわてながらも
「その写真はモデル撮影会で撮ったもので 気に入ったのを1枚残しておいた」
っと説明してくれました。当然 我々の会話は台所に立っていた奥さんの耳にも届いたので 私が申し訳 なさそうにそちらの方を見ると 奥さんも初めて知ったという表情をしながらも
「私 そういうの全然気にしないからー」
っと微笑みながら答えてくれたのです。私は
「さすが姉さん女房!」
っと心の中で変な感心をしながら 気まずい雰囲気にならなかった ことに安堵をしたのでした。そして そのことはすっかり忘れていたのです。

 ところが数ヶ月後、彼からかかってきた電話の中で あの「きれいな女性」の写真がアルバムから 忽然と消えたことを知らされたのです。
 私には強い霊感もないし、ましてや透視能力もないのであの「消えた写真」の運命を知ることは できませんが 彼の電話を聞いたとき、確かにすごい「怨念」みたいものを感じました。(笑)  そして そのあと背筋に”スーッ”と冷たいものが走ったのです。

 それでは・・

2008年8月31日

こんにちは

「おじいちゃん!これな〜に?」
横にいた孫が絵本の中を指差しながら 聞いてきました。
最近はちっちゃな反抗期なのか、私の顔を見るたびに
「じいちゃんきらい!きらい!」
と言われていたので もう、うれしくてうれしくて
「これは荷物を運ぶ車だよ、コンテナ車っていったかな」
っと言うと
「ふ〜ん、こんてなしゃ?」
絵本の中に入り込みそうなくらいに見ています。
そんな孫のしぐさが かわいくてかわいくて
私も孫の頬に触れんばかりに絵本を覗き込んだとき
悲劇は起こりました。
「おじいちゃん、くさい!」
「えっ!」
私は言葉を失ってしまいました。
そして 手で口を押さえながら 反射的に1メートルほど 身を離したのです。
生まれてこのかた、”くさい!”なんて言われたことはなかったのに
孫はなんのてらいもなく私に宣告したのです。
10トンハンマーでぶん殴られたようなショックでした。
「じいちゃん、きらい!」の言葉で落とされた谷底から 最近、
やっと這い上がってきたのに 再び谷底に突き落とされたのです。

 しばらくして 乱れた心も落ち着いてきたとき 私は重大なことを思い出しました。
この孫と会話する5分前に 私は歯磨きを終えていたのです。
たぶん 孫が言った”くさい!”は歯磨き粉の臭いだったはずです。
私はホッとするとともに この小さな孫の言葉に取り乱した自分を恥じました。
そして まるで弁解するように心の中で言ったのです。
「(マー君、言葉は大事だよ)」
「(マー君のおじいちゃんは すごく 言葉で傷つきやすいんだよ)」ってー。(大笑)

 それでは・・

2008年9月7日

こんにちは

 まわりの田んぼもだいぶ色づいて”秋本番近し”を思わせる頃になりました。
この時期になるとどうしても話題になるのが”熊の出没”です。今年は山の木の実があまり ならなかったので 熊が里の方に降りてくる可能性は大きいそうです。
 3〜4年前だったか、すぐ近くで熊が出たという情報があったので すぐに警察に電話を してから急いで現場に車を走らせたことがあります。その時間帯は子供たちの下校の時だった ので もしもの事があっては大変!っと思ったからです。熊が出たと思われた現場には熊の 姿はもうありませんでしたが 畑の軟らかい土の部分に熊の足跡がいくつか残っていました。 大きさから想像するとどうも小熊のようです。人は誰も見当たらなかったのでしばらく見張って いると20〜30分後に役場の人たちが数名きました。状況を話してその場を託したあと、 小学校に立ち寄り、注意をお願いして会社に帰ってきました。すると 熊が出た現場であれ ほど待ち望んでいた「猟友会」の人が3名、私の会社の周りを猟銃を持ちながら警戒して いたのです。どうも会社から電話をしたので会社の周りに熊が出たと勘違いされたようです。(笑)
 ここでもうひとつ 熊にまつわる話をします。いまの話と同じ年のことだった思います。 会社の近くに 車の修理後、試運転走行する坂道があります。この坂道は距離は短い のですがエンジンや足廻りの確認をするのには最適なため、よく利用します。ただ この道は子供たちの 重要な通学路でもあります。この坂道のヘアピンカーブになっているところに親子の熊が出て その内の1頭が猟友会によって駆除されたのです。(確か母熊だったはず) このニュースは テレビの画面で知ったのですが、このヘアピンカーブの近くにある見覚えのある栗の木が映ったので 場所はすぐに分かりました。たぶん 熊の親子もこの栗の木が目当てで来たのでしょう。 ごく近くで起きたこの出来事は私にとってかなりショックでした。しかし もっとショッキングな ことが次の年に起きたのです。あのテレビに映った「青々とした栗の木」が なぜか茶色に立ち枯れて しまったのです。私はこの枯れた栗の木を見たとき どうしても猟銃で打たれた熊と結びつけてみないわけには いけませんでした。

 さて 話は一変しますが 我家の「クマー君」、いえ間違いました。孫の「マー君」は 益々遊び心が盛んになってきています。そのためか だんだんヤンチャな部分も出てきて いるようです。風呂に入るときなんか 服を脱いでから方々を走り回り、みんなを手こずらせて います。最近は特に、風呂前のオシッコをしてからご飯を食べている私に寄ってきて ”オチンチンをこすりつける”のを楽しみにしているようです。私が嫌がるものですから かえって 顔付きが日に日に意地悪さを増してきています。きのうなんかとうとう「お尻すりすり攻撃」まで 編み出した次第です。これらの行為は熊がよく行う、自分の縄張りを示す「マーキング行為」と同じ なのか、おじいちゃんへの「愛情行為」なのか、それとも男性が持つ「本能による行為」なのか よくわかりませんが とにかく今晩もあの恐怖の「オチンチンすりすり攻撃」に耐えなければ いけないのは間違いないようです。(笑)

 それでは・・

2008年9月14日

坂道

 事務所からの県道を北に向かって車を走らせると 5分もたたないところに山へ向かっていく 1本の坂道があります。右折してその道をゆるやかな蛇行を繰り返しながら登っていくと 勾配が 急にとけて大きく湾曲した平坦な道になるところがあります。高度は100mぐらいありますから  左方向には 開けた平野とその向こうに青い海を一望することができます。それから この場所でなによりもうれしいのが 下の方から吹き上げてくる風です。適度の涼しさを含んだこの風は、「あいの風」と呼ばれていて 私を清々しい気持ちにさせてくれます。私はこの道を通る度に必ずこの場所に車を止めて 少し 物思いにふけります。っと言うのはこの場所にくると一瞬にして小さい子供のときにタイム スリップできるからです。いまはきれいに舗装された道になっていますが 当時はもっと細く、 デコボコのジャリ道でした。この車を止めた場所を過ぎて再び勾配の強くなった坂道を1kmほど 登ると私の母の実家があります。年に1回、お盆の里帰りのときに私は母に手を引かれ、この気が 遠くなるような坂道を歩きつづけたのです。小さい私にはけっこう厳しい道だったはずです。 真夏の陽射しと耳が痛くなるほどの蝉の声、したたり落ちる汗と息苦しいくらいの草いきれ、 何十年たった今でも忘れられない思い出です。そして道中口数が少なかった母が この場所で 大きく深呼吸をしたことを覚えています。つい最近までは その深呼吸は単なる一服の意味しか持たない と思っていたのですが 私も年を重ねるとその時の母の胸中が少しわかるようになってきました。 古いしきたりが残る農家に嫁ぎ、姑さんに気を使いながら、朝早くから夜遅くまで家族のために 働き通しだった母が 年に一度、しばらくの期間とは言え、嫁ぎ先から解き放たれる瞬間が あの大きく湾曲したゆるやかな坂道で出た深呼吸のときだったのかもしれません。
 途中にある石段の上のお宮、道の突き当たりにある雑貨屋、その手前にあるいくつかの 石碑、そして何よりも、遠くに見える海の青さと下から吹き上げる「あいの風」は今も 変わりなく私を迎えてくれます。

 20代も後半に入ったとき、仕事の都合でアルジェリアのオーランという都市で1年間働く 機会がありました。首都アルジェが東京なら オーランは大阪にあたるような街でした。 日本の商社がアルジェリアの政府に車のトラクターヘッドを4000台売る契約を成立させ、 日本から船便で輸出したのですが 航海に40日間ほどかかるため その間に海の塩気などが原因で 色々な不具合を起こします。オーランに着いた全ての車をチェックして、不具合個所は治して アルジェリア政府に引き渡すのが主な仕事でした。1年もの長い期間ですから その間には たくさんのアクシデントがありました。そのことについて書くと このメールがとんでもない 長さになるので 今日は仕事の事はちょっと横に置いて、休日を利用して行ったある”不思議な 坂道”のことを送ります。
アルジェリアの生活にも少し慣れ、仕事も順調に動き出すと、せっかく遠くの異国に来たの だから 色々なものを見てみたい、っという気持ちになります。そんな時に 車で1時間ほど 行ったところに”不思議な坂道”があるとの情報を得たのです。休日にさっそく車を走らせると 広々としたぶどう畑の終わりにその坂道がありました。その坂は最初はだらだらと上りが続き、その後は ゆるやかな下りになります。下りが終わるとまた上りになります。車で走り去ってしまえば 1分間もかからない、何の変哲もない坂道です。言われなければ絶対に気づかないと思いました。 この坂道の不思議は最初の坂道を上り、次の下りの途中で起きました。車を止め、エンジンを 切って、効かせていたサイドブレーキを解除すると 車がゆっくりバックしていくのです。 本来なら 下り坂ですから前の方に下って行かなければならないはずで。不思議な感覚でした。 車が後ろに上っていくのです。(後ろに引っ張り上げられる感じ、っと言ったほうが良いかもー)
 この原因ははっきりしています。たぶん「目の錯覚」でしょう。「上り」「下り」「上り」と 続く坂道の構造のためなのか、周りの景色のためなのか、はっきりとは分かりませんでしたが 水準器で測れば「上り」「上り」「上り」と出たはずです。
 日本でもこのような「不思議な坂道」が見つかるかも知れません。しかし 坂道の途中で 試して見ることはおすすめできません。万が一 後続車に追突されようものなら大変なことに なりますからー。

 それでは・・

 

2008年9月21日

こんにちは

” むかし むかし この村に裕福な長者様がいました。
あるとき この長者様が村の川に黄金で橋をつくりました。
しかし その後長者様はこの村を去ることになりました。
橋はこわされ 黄金は長者様と一緒に持っていかれたとも、
また そうではなく「にわとこの木」の下に埋められた
とも言われています。”

これが 私が小さいときに聞いた昔話です。完全な作り話ではなく 私が住んでいるこの 村から実家がある隣の小さな村へ通ずる所に 実際に「黄金橋(こがねばし)」なる橋があります。 竹薮の中にあるこの小さな橋は 橋の形を成していなく、普通の農道の下に小さな川が 通っているだけの様相をしています。高さは川面から3〜4mはあるでしょうか。橋の入り口にある 「黄金橋」の石碑と横に並んでいる由来が書いてある石がないと 誰も全く気づかないはず です。由来によると今から450年ぐらい前に実際にあったようです。 町のホームページを見ると この話はもっともっと長いストーリーがあり、それは「ニカ福 長者」として「町の昔話」に載せられています。  恥ずかしいのですが私が子供のとき、よくこの昔話を思い出して「にわとこの木」が ないか探したものです。(笑) そして大人になるにつれてこの話もすっかり忘れていたのですが 最近になって再び思い出すことになりました。っと言うのは私の娘がどこでこの話を聞きつけたのか、 私に「黄金橋の話」について訊ねてきたからです。「黄金」「埋蔵」と聞くといつの時代でも 人の心をワクワクさせるものなんだなー、っと一人苦笑しています。 ちなみに 黄金(こがね)の夢を追いかけていた私は今、小金(こがね)の支払いに 追いかけられる日々を送っています。(大笑)

 それでは・・

2008年9月28日

こんにちは

 私の父は大正13年生まれ、もう83、4歳になりますが いまだに農作業はするし、 車の運転もまだまだ現役です。しかし そんな父もさすがに耳の方は聞こえづらくなった ようで 先日もこんなことがありました。

かなり長く 電話の呼び出し音がなったあと
「どちらさんでしょうか?」
「××(私)だけど」
「どちらさん?・・・」
全然聞こえていなくて その後電話を切ろうとするので
あわてて大声で
「××だよ! わからない?××だよ!」
「××? ××は家にいませんけどー」
「家じゃなくて オレが××!」
ますます大声になっていく私
「オレだよ、わかる? オレ!オレ!オレッ!」
「オレ?・・・」
親父は何かを思い出したようで そのあと妙な沈黙がありました。
そして
「よくわかりません。すみませんでした。ガチャン!」
変なやさしさを含んだ丁寧な言葉で電話を切られてしまったのです。
どうも 最近はやりの事件の関係者と間違われたようです。(笑)
私はただおふくろの生年月日を確かめたかっただけなのですがー。

 それでは・・

2008年10月5日

こんにちは

 隣町の有名な観光道路を山に向かって車を走らせると  途中、左方向に特異な形をした山を見ることができます。
 周りの山々が丸みを帯びたなだらかな形をしているのに この山だけが三角帽子の ようなトンガッタ形をしているので 山に興味がない人でもこの三角の形になった わけが知りたくなるような山です。山の名前は「尖山」、通称「トンガリヤマ」と呼ばれて います。高さは600mに満たない山です。
古代の歴史に興味あった私がこの山を知ったのは この三角の形が自然に出来た ものではなく、人の手によって成った形、すなわち古代のピラミッドではないか?という 記事を読んでからです。
その証拠を得るため、一度は登ってみたいとず〜っと思っていたのですが  26,7歳のちょうど今頃の季節に とうとう登る機会を得ました。手に入れたばかりの8ミリ映写機を片手に 一端の冒険家気取りで 出かけたのを覚えています。ただ山の高さが高さだけに甘くみたのが失敗でした。ほとんど無計画で どこからでも登れるとたかをくくっていたのが裏目に出てしまい、苦い思い出を作ってしまったのです。 適当な所から山登りを始めたのですが  登っても登っても頂上に着かないのです。山の草木は意外と深く、見通しも悪かったため 次第に心に焦りが生まれました。そこで”迷ったかな?”っと思った私が取った行動は 「とにかく一度、ふもとに戻ってやり直そう」と山を下りることにしたのです。 斜面を流れる小さな川(沢)に沿って下りて行けば必ず山のふもとに着くと考えてその通りに 行動してみました。ところが 今度は行けども行けども視界が開けて来ないのです。 またまた 私の心の中に焦りが生まれました。次第に足が速くなり、そのためゴロゴロした石の 上で何度も転んで擦り傷だらけになり、トゲも体のあちこちに刺さりました。今思っても なぜあんなに焦ったのか不思議でなりません。 (その後、山で遭難したニュースを聞くと 自分のあの時の心境と重ねあわせたものです。)
 さて なんとか山を下りて地元の人に道を聞くと 登山道はきちんと整備されていることがわかり、 あっけないくらい簡単に頂上へたどりつくことができました。(笑) 頂上からの展望はかなり 良かったように覚えています。
 肝心の古代ピラミッドの証拠ですが 頂上には「太陽石」なる石の配列跡はなく、はっきり したものを見つけることはできませんでした。ただ 頂上付近の斜面に 組んだ石が風化した と思われるような部分があったことを今でも覚えています。
 20km以上離れた所にある古代の神殿があったとされる「オミジンヤマ」、そして この古代ピラミッドではないかと言われる「トンガリヤマ」、学校で習った歴史以上のものが この地にあったのでは?などと想いを巡らせています。

 それでは・・

2008年10月12日

こんにちは

 お客様に領収書を書いていたとき、なにか引っかかるものがありました。
「10月11日、なんだったかな?」
お客様が帰られたあと、すぐにそれを思い出しました。
”10月11日”は我々夫婦の結婚記念日だったのです。
私自身も忘れていたのですが 女房も朝から何度も顔を合わせているのに それらしき素振りが 全然なかったところをみると たぶんすっかり忘れているようです。
28年の歳月が”記念日”より”日々の生活”の方を大切にしてしまったようです。(笑)
午後の仕事の合間に 今日が特別な日であることを言うと
「あっ!そうだった。じゃ、今晩久しぶりにお刺身でも買ってこようか」とのこと、
どうも”お刺身”でごまかされたような気がしないでもなかったのですが
「まあ、それはそれでいいか!」っと変に納得した自分でした。
仕事を終えてから 女房はさっそく近くの魚屋さんへ走りました。ところがしばらくして帰ってくると
「今日は魚屋さん、開いていなかった」 との報告。
もう少し足を延ばせばスーパーもあるのですが 我々にはその時間が残されていませんでした。 実は最近ずーっと、仕事を終えてから町の総合病院に行くのが日課になっていたからです。
私の母が入院してから 1ヶ月になっています。
その日も追われるように店を閉めて病院に向かいました。
この2,3日で母の肌が随分黄色くなりました。それから 痛み止めの薬の副作用でしょうか? しゃべるのも ままならないようで言葉もはっきりしなくなってきています。そんな母に私が
「きょう、10月11日は俺たちの結婚記念日だよ」
っと告げたのです。
母は最初、よく分からなかったようです。そこで何度も同じ言葉を繰り返すと
「結婚・・・、10月・・・」
もうろうとした記憶の中から 少しずつ思い出してくれました。
そして ベッドの左右にいる我々の片手を”こんなに力があったのか”と思うくらいに強く 握り締めて 自分の腹の上に引き寄せたのです。そしてはっきりした口調で言いました。
「お、め、で、と」
そのあと、しばらく母は手を離しませんでした。
この瞬間をずーっと続けたかったのか、それとも我々の手を合わせることによって これからも 二人で頑張って欲しい、と願ったのか、それは分かりませんでした。 お互いのプレゼントもなく、ちょっと贅沢な食事もありませんでしたが きょうの10月 11日は 私にとって生涯忘れることはない日になったような気がします。

 それでは・・

2008年10月19日

こんにちは

 三日後に「損害保険募集人試験」があります。この試験は損害保険を取り扱っている者が 必ず受けなければいけない試験です。
とにかく ”試験”というものにしばらく縁がなく、また 最近は”脳みそ”がカチン、カチンに なっている私には かなり”重い試験”です。問題集を見ても全然頭に入りません。 そのうえ、何度か繰り返してやっても 間違った問題は再び間違えるのです。もう学習能力は ほとんど”ゼロ”のようです。(笑)
あとは 当日に異変(大笑)が起きることを祈るのみです。

さて 愚痴を言っててもしょうがないので もう少し頑張りますか。
それでは・・

2008年10月26日

こんにちは

 私の母が10月22日に他界しました。
81歳でした。
当日、私は「損害保険募集人試験」を予定しており、 前々から 試験の前に何かあったら今回は受験できない、っと少し気になっていました。が幸いに  試験は無事受けることができました。そして 試験を終え20分ぐらいたった頃でしょうか、 会社へ帰る車の中で 母の血圧が急激に 下がったことを知らされたのです。母の最期には間に合いませんでしたが 「試験が終わる まではー」っと気遣ってくれたように思います。
 前日の21日にも不思議なことがありました。
その日は村の祭りで 各家々に神主さんと獅子舞が入るのですが なにしろ軒数が 多いものですから 事務所の獅子舞が終わったのは夜の9時頃でした。時間が遅くなったので 40日間続いた病院通いも「今日1日だけは休ませてもらおう」っと思い、自宅の方へ向かい ました。しかし 自宅の玄関に入ろうとしたとき、どうしても母の顔が見たくなったのです。 そこで急遽、病院へ行くことにしました。母は酸素マスクを使用しており、問いかけに答える ことはありませんでしたが 今考えると 最後の対面を不思議な力で作ってくれたような気がします。
 働いて働いて
 自分が食べなくとも
 子供たちに食べさせ
 苦労して作った野菜を
 惜しむことなく
 周りの人にあげる
 そんなおふくろさんでした。

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