雑 記 1
このページでは ただ思いつくままに車以外のことも書きます。
登場人物を始めとして 内容についてはかなりフィクション性が強くなると思いますので
”お気に入り”に登録したり、”他の方”にすすめたりしないようにお願いします。(笑)
(他のページは真面目に作っていますので誤解のないように・・・。 2007年9月25日記)
登場人物
私
トンちゃん・・メル友(たぶん女性?)
その他
2007年9月30日
久しぶりのメールになりますが その後元気ですか?
早いもので今日が9月で最後の日になりました。そのせいでしょうか、
異常とも思えたあの暑さもこの1週間でだいぶしのぎやすくなってきたようです。
先日 造園業を営んでいる友達が来たときに色々話をしたのですが 植物を相手にしている
彼の目から見ても 今年は異例なことが多かったようです。いや むしろ花や虫の方がそのことを
敏感に感じていたのかもしれない、とのことー。 考えてみるとそういうことについてまったくど素人の私にも
今年は”アレッ!”ってことが多かったように思います。
今年はまず 北陸では珍しく雪の積もらない冬から始まりました。春先もおかしかったですね。そのあとも
空梅雨かと思ったら豪雨があったり、やっと夏がきたと思ったら異常に暑くて長い夏だったり・・・。
6月頃に窓から見える「ざくろの花」も今年は確実に2週間遅れて咲きました。7月の「朝顔」もずいぶん
遅くまで咲き続け、
この様子だと10月まで持ちそうです。それから忘れていけないのが大きな被害が出た
「能登半島」と「新潟沖」の地震。こんな近くでふたつ続けて大きな地震が起きたのは私の人生の中では初めてのことです。
こんなことが続くと誰もが「今年は異常」と思いたくなりますが ただ 「大自然」からみると
ほんのちょっとの”ブレ”なのかもしれません。いつものように季節が巡り、いつもの時期に花が咲く、
っと思い込んでいるのは 人間だけなのかもしれなく、自然は我々が考えているよりもっと”幅”が
あるのかもしれません。いずれにしろ 「自然」のちょっとした動きが人間の生活に大きな影響を与えることだけは
頭に入れておく必要があるようです。
今日は 私には珍しく真面目な話になってしまいましたが これこそが「今年最大の異常!」などと
笑わないようにお願いします。(爆)
それでは・・・
2007年10月8日
今日はせっかくの”食欲の秋”に水をさすような話をー。
事の発端は去年の正月明け、風呂場の脱衣室から始まりました。服を脱いだとき、鏡に映った自分の姿に
愕然! 腹は”ガマガエル”、尻は”豚君”状態でした。横から見ると見事な”S字ライン”に
「豚(とん)だことになった」っと思ったかどうかはもう忘れてしまいましたが とにかくおそる 々
ヘルスメーターに乗ってみるとなんと”69s!”。 私の身長は170cmなので理想体重は”63s”
になりますから”6s”もオーバーしていたのです。この原因ははっきりしていました。なにしろ正月は
”食っちゃ寝、食っちゃ寝る”の状態だったので当然の報いだったのです。(笑)
とにかく その日を境にして涙ぐましい(?)”ダイエット作戦”を開始したのですが 一度増えた体重は
なかなか元に戻らないのです。これはダイエットをした人はたいてい経験することだと思いますが
ちょっと体重が下がっても水を飲んだだけでも元に戻る感じと言えばわかってもらえるでしょうか。
朝食を止めてみたり、昼食のご飯の量を減らしてもらったり、テレビで”寒天ダイエット”を見たら
寒天を買い占めたり(笑)、”納豆ダイエット法”を知ったら一日に二回食べたり、っと色々試みた
のですが一向に思うような成果がでませんでした。なにしろ運動をしないで痩せようと言うのですから
いま考えても無理だったのかもしれません。
そんな、こんなを繰り返していたら あっと言う間に数ヶ月がたってしまい、もう万策尽きた、っとあきらめ
かけたとき 何かの記事であまり遅く夕食を取ると肥満の原因になることを知ったのです。確かにその頃の
私は仕事の終了がほぼ毎日午後9時頃、家に帰って夕食を食べ終えるのがどんなに早くても9時半頃に
なっていたのです。寝るのが11時半頃ですから食べてから寝るまでの時間が2時間しかありません。
一説によると最低でも消化には3時間が必要とのこと、そこで仕事の心配もあったのですが思い切って1時間早く
切り上げることにしました。それと同時期だったと思いますが知人から「お酢を飲んだら体重が減ったよ」
っと聞いたのでそれも取り入れることにしました。”お酢”はダイエットに効かなくても人間にとって
必要なアミノ酸を多く含んでいること また血液をサラサラにすることも知っていたのでー。
ただ”お酢”
をそのままではあまりにも飲みづらいので牛乳で割ることにしました。牛乳とお酢が混じるとちょうど”フルーチェ”
のようになって飲みやすくなるのです。
とにかく半信半疑ながら 以上の2点を続けていたら最初は変化のなかった体重がしだいに下がり始めたのです。そして今現在
”64s”っとあと一歩のところまできました。私の方法がすべての人に効果があるか、どうかはわかり
ませんが 夕食時間を1時間早めたことがダイエットにとって良かったみたいです。肥満とか成人病は
よく”生活習慣病”と言われますが 私の場合は明らかに”ちょっと生活の習慣を変えた”だけで効果が
あったわけですからまさしく肥満の原因は”生活習慣”だったと言えそうです。
これは余談になるのですが 私の女房殿はよく「私ってストレスが溜まっているのかしら?」っと
体重を気にしながら食べていることがあります。 これを見て私は「食べる口実では?」と内心思っていました。(笑)
でも最近二つの言葉を
並べてみたら「フマン;不満」・・「ヒマン;肥満」っと発音が似ていて どこかつながっているような
気がしないでもなく 意外と女房がいうことに”一理あるかも?”などと思っています。(笑)
”食欲の秋”くれぐれもご注意を・・・。
2007年10月14日
秋風が心地よい季節になりましたがその後元気ですか?
まわりの田んぼもすっかり収穫が終わり あとは近くの山々がしだいに赤く染まってくるのを待つばかり
の時期になりました。農家出身の私にはこんな景色を見ると今年も無事収穫が終わったんだな、っという
ホッとした気分と次にくる冬までの短い秋の一日一日が非常に貴重に思える時でもあります。
今はもちろん農業に携わっていないのですが 米一粒ができるまでの苦労を小さい時に見ているので
「スポーツの秋」、「芸術の秋」、「食欲の秋」・・・っと色々あるかと思いますが やはり私にとって
秋は「収穫の秋」の感が一番強いようです。
さて今日はその田んぼにまつわる話ですが 去年体験した不思議な出来事をお話します。
確か7月頃だった思いますが実家へ行ったついでに 塀の外にあるお墓を訪ねようとしたときのことでした。
塀と田んぼの間に設けられた小道を20メートル程歩くと田んぼが終わり その横の竹林を切り開いた
所にお墓が建っているのですが その時、お墓に行き着く手前で何気なく田んぼの中を見たら小道から
5〜6m離れたところに異様な物を見つけたのです。すくすく育っている稲の一部分がまるで味噌汁を
入れる御椀のような形でポッカリ穴が開いていたのです。真上から見たわけではないですからはっきりとしたことは
言えないのですが それでも小道が田んぼよりも少し高いことと私の身長を合わせた高さから見ましたから 円形で
あることは間違いなく確認できました。そしてその円形までに誰かが向かったような形跡がないこと、また
その円形部分だけが稲が倒れたことによってできたことも容易に知ることができたのです。
この不思議な現象を見たときに 真っ先に頭に浮かんだのがイギリスの麦畑などによく現れた
「ミステリーサークル」。今回のものは径が2mぐらいと小さいのですがまさしく「ミステリーサークル」そのもの
だったのです。(本家のミステリーサークルは”いたずら”という説が有力だそうですが・・)
その日から何日もこの不思議な現象のことが頭から離れず 色々原因を考えてみました。
稲の穴ができたところはちょうど風のふきだまりになっているので”つむじ風”でも吹いたのかも・・。
それともこの個所にカミナリが落ちたのでは・・・等々。
結局結論は出なかったので後日本家を訪ねたときに思い切ってこのことを聞いてみるとこのミステリー
サークル(?)ができた原因がわかりました。
米は収穫してから米ともみがらをわける”もみすり”という作業があるのですが 出てきたもみがらは送風機で
ビニールのトンネルを通して田んぼに返します。もみがらが円錐形の山になったあとは燃やして残った灰を
肥料として田んぼ一面にまくのですが 私が見た年の前年は灰をまく作業をしなかったそうです。それとビニールの
トンネルの長さが決まっているので 毎年だいたい同じ所にもみがらの山ができるそうです。このことから
考えると「ミステリーサークル」のできた部分は栄養過多の状態になっていたと思われます。農家は
稲を育てるために肥料を与えますがやり過ぎると稲が倒れやすくなることにも気を使っているので
今回のように一部分だけに色んな偶然が重なって栄養がありすぎると 普通の雨でも稲が倒れやすくなり
あたかも「ミステリーサークル」ができたような状態になるものと思われます。
わかってみれば「な〜んだ!」という結末でした。(笑)
それでは・・
2007年10月21日
遠くに見える立山連峰の頂に雪でしょうか?白い物が見えました。
そのせいでしょうか、窓から入ってくる風にも少しの冷たさを感じます。
今日は村の秋祭りです。先ほど神主さんにおはらいをいただき、その後小さい子供たちと
若者による「獅子舞」がありました。神輿(みこし)は家の数が増えたのと担ぎ手が減ったことも
あってだいぶ前から各家々に入らなくなりました。
私が子供の頃、祭りは一年の中でも
最も楽しみな一日でした。とにかく親戚中の者が集まり ご馳走を食べながら久しぶりの
再会を喜んだものでした。子供たちも何でも許されるような気がして いわゆる「舞い上がった」
状態で遊びほうけたものでした。でも最近は いつでもおいしい物が食べることができ、
毎週どこかでイベントがあるような生活ですから 祭りへの楽しみは確実に少なくなって
きたように思います。
ただ遠くに聞こえる笛や太鼓の音に少しですがいまでも胸が高まるのは 昔の頃の子供の
気持ちがまだ残っているのかな、などと一人苦笑しています。
私が生まれたのはいま住んでいるこの村ではなく 隣の小さな村です。だからこの村での
祭りに青年団員として参加したのは1年間だけでした。結婚してこの村に家を建てのですが
祭りに参加した翌年には青年団の退団年齢になったためです。ただたった一回の祭りでしたが
いまでも鮮明に覚えています。っというのはちょっとした事件(?)があったからです。
結婚して初めての またこの村に来て初めての祭りということで 私の両親と女房の
両親をよんでいました。計画通りにいけば神輿を担いだ勇ましい私の姿を両家の両親に
見せる予定だったのですが 人生とはなかなかうまくいかないことが多いものです。
私自身は祭りに参加したものの 「獅子舞」は踊れない、「笛」も「太鼓」もできない
ということで回ってきたのが「バチ役」。このバチは全身赤の衣装で顔にはこれもまた
真っ赤な天狗の面、手には大きなマサカリを持って (いまでもこの「バチ」の役目が
よくわからないのですが) とにかく小さな子供を見つけては”泣かす”、言ってみれば
秋田の「なまはげ」のような役目と風貌を持っているといえばわかってもらえるでしょうか。
とにかく 何もできないということと担い手がないということで 私に白羽の矢がたった
わけです。ただ予想もしなかったのは行く先々でお酒をすすめられること。なにしろ
当時でも250軒ほどの家がありましたから 最初はありがたく受けていたお酒ですが
さすがにそのうちに記憶がなくなってしまったのです。これはあとで聞いた話ですが
「バチ」が行方不明になったということで皆で随分さがしたそうです。幸いにある家の
庭先で倒れていたそうですが 私の記憶に間違いがなければ庭の隅に積まれた”もみがら”
の山の上で寝ていたような気がします。(笑)
一方 私の家では両家の両親と女房が”今か今か”と私の勇姿を待っていたのですが
担がれてきたのが”神輿”ではなく”私自身”。家に運びこまれた私はその後4〜5時間
深い眠りに入っていたので皆がどんなことを言っていたのかは知るよしもないのですが
いまだにこの事件のことをおりにつけて言われるので その度に閉口するのです。(悲)
さてちょっと苦いこんな思い出のある秋祭りですが この秋祭りを終えるとこのあたりも
いっきに晩秋の色を濃くしていくはずです。
それでは・・
2007年10月28日
登場人物
Aさん ; 我が社のサービスマン
駐在さん; 村のおまわりさん
Aさん、10時のティータイムで事務所へー、
お茶を半分飲んだ時にお客様が来社、
「ちょっと見てきます。」と工場へ。
入れ替わるように村の駐在さんが来社、
「こんにちは!何か変わったことはないですか?」
「まあ、お茶でも一杯どうぞ」っとAさんのお茶をさげ
新しいお茶を出す私、
駐在さん、お茶を半分飲んだ時に突然携帯電話が、
「失礼します!」と駐在さん外へ。
私がトイレにいっている間にAさんが再び事務所へ、
「いただきます!」っと残ったお茶をゴクリ!
「Aさん! そ、そのお茶は・・・」
このテレビのコントのようなお話は我が社で起きたほんとうの出来事です。
くれぐれも お茶の途中で席を立つときは ご注意を!!(爆)
それでは・・
2007年11月4日
こんにちは
道路の向こう側に見える空き地に ”セイタカアワダチソウ”の一群が
黄色い花を咲かせています。この外来種である雑草はあっという間に
日本中に広がり、この時期にはたぶんこの国で一番多く咲いている花かと思われます。
私は この黄色の花を見るたび 毎年、ある一人の友達のことを思い出します。
学校を出てから私は愛知県のT社に就職しました。その会社で初めてできた親友が
「M君」でした。M君は口数の多い方ではなかったのですが 伏目がちに微笑む姿は
なぜか心やさしく、純粋な印象を私に与えました。そんなところが私と相性が合ったの
でしょうか。私の方から頻繁に彼のアパートを訪ねました。
彼は四畳半、私は三畳一間の部屋と物質的にはそんなに豊かな生活ではなかったのですが
彼の部屋を訪ねるたびに仕事の事や将来の事、またお互いの故郷のことなどを夜遅くまで
話し込んだものでした。確かにあの時は漠然とした不安もあったのでしょうが未来に対する
夢や期待もあったはずです。そんなM君との付き合いが2、3年続いたある日のことで
した。M君から連絡があり、テレビを譲りたいから取りに来て欲しい、と言うのです。
実はその数ヶ月前に私と彼は夜間学校を受験したのですが 私は見事(?)に落ち、彼は
合格したのです。これからは帰ってきてから勉強をしなければならないので テレビを
見ると勉強がおろそかになるので私に持っていって欲しい、というのが彼の意見でした。
さっそく次の日曜日の夕方、彼の部屋へテレビを取りにいったのですが そのとき少し気になる
ことがありました。勉強という目標ができたはずの彼が妙にしずんでいるのです。今 その
ときの彼の言葉を正確に思い出すことはできないのですが 確か「自分の人生の先が見えた」
ようなことをいったのです。
社会に出て2,3年は仕事を覚えるので一生懸命でそんな
ことを考える余裕はないのですが 仕事もある程度こなすことができるようになって
ふと周りを見回したとき、そんな考えが頭をふっとよぎることもあることは 彼より
ちょっと先輩の私も経験していたので「誰でもそういう時期がある」ことを話して
彼を励ましました。そのあと何時間かの話し合いのあと、最後には明るさを取り戻してくれた
彼を見届けてから私は自分のアパートに帰りました。
それから三日後だった思います。彼の悲報が私の耳に届いたのがー。
会社の仕事中になにかトラブルがあったらしいのですが 彼は突然退社をしてその日の
うちに故郷の実家で自らの意志で人生を終えたのです。
そのあと 自分がどう過ごしたのか全く覚えていないのですが 夜仕事を終えて部屋に
帰ってから悲しみが堰を切ったように襲ってきたのを覚えています。真っ暗な部屋で
嗚咽をあげて泣いたのは私の人生のなかで後にも先にもこの時一回だけです。
翌日 彼のいなくなった部屋を訪ねました。きちんと整理されたその部屋を見たとき
私はすべてを悟りました。仕事のトラブルが原因ではなかったのです。前々から彼の
心の中に”ある覚悟”ができていたことをー。
彼の故郷で行われたお葬式に確かに私は出たはずなのに その一切の記憶が 今はないのです。ただ 青く澄んだ秋の空とその下を無言で歩く人々、そして道端に群を なして咲いていたセイタカアワダチソウの黄色い花だけがいつまでも私の記憶の中から 消えないのです。
それでは・・
2007年11月11日
こんにちは 元気ですか
家に孫が一人いることは以前に話しましたが 今日はこの孫のことを 書きます。 「孫ってかわいいよ!」と生まれる前によく周りの人から言われたものです。 でも その時はそんなに深く考えていませんでした。しかし いざ実際に孫が生まれて みると確かにそれは言えると思います。「目に入れても痛くない」という表現の しかたがありますが まさにその言葉の通りです。孫が生まれる前は 孫が生まれてくることによって「おじいちゃん」と呼ばれるのが「いやだな」っと 思っていたのですが そんなことはもうどうでもよい、という感じです。 自分の子供が小さい時の感情とは また別の感情のような気がします。うまく言い 表せないのですが 今日は言葉を使ってなんとか表現してみたいと思います。
”愛する人”のことを”愛しい人”と呼ぶことがありますが 孫に関しては
単なる”愛しい”ではなく”お”が入った”愛おしい”と言えるのです。(”お”
が付くだけに”おもい入れ”が違うのです。)(笑)
この小さな命が何万年前からの
命のつながりの結果であること、そしてこれから幾多の試練が待ち構えていることを
考えたら 自然と”愛おしい”気持ちが湧いてくるのです。こんな孫も「おじいちゃんの
気持ち」を知ってか、どうかはわかりませんがたいした病気もなく すくすく
育ってくれています。最近は1歳7ヶ月がすぎたこともあって 色々知恵がついてくる
みたいで毎日ビックリの連続です。先日も整備工場が好きなこの孫が ちょっと
目を離したすきに寝板(作業用板)に乗って車の下に入り、点検のマネをしていました。
(驚) とにかくこの小さな命が無事育ってくれることが今の私の最大の望みです。
さて ちょっと話が横道にそれますが ”愛しい”という言葉を使って「ことば遊び」をひとつー。
若い二人に
↓
運命の出会いがあり
↓
愛しい 人が
↓
愛おしい 人に
↓
そして二人は結婚!
↓
しかし 月日は流れて
↓
愛おしい人が
↓
うっとおしい人にー。
そうなんです。「うっとおしい」は「愛おしい」が風化した形なのです。(大笑)
お互いこんなことがないように気をつけましょう!
それでは・・
2007年11月18日
こんにちは 寒くなりましたが元気ですか?
今日はなにかと忙しく時間がなくなってしまったのですが 次回から長編物(?)を
送りたいと思います。「くるまねっと21」の中に「こだわり」という個所がある
のですが それに関連した話になる予定です。
それでは・・