雑 記 2
このページでは ただ思いつくままに車以外のことも書きます。
登場人物を始めとして 内容についてはかなりフィクション性が強くなると思いますので
”お気に入り”に登録したり、”他の方”にすすめたりしないようにお願いします。(笑)
(他のページは真面目に作っていますので誤解のないように・・・。 2007年9月25日記)
登場人物
私
トンちゃん・・メル友(たぶん女性?)
その他
2007年11月24日
こんにちは 元気ですか
きょうから 連載で送ります。
* 天高く・・ *
人は誰も小さいときに たくさんの夢を持っていたはずです。
しかし 時がたつにつれて少しずつ失っていくのが常のようです。
振り返って見ると私の場合もそうだったと思います。
私が車の世界に憧れて自分の一生の仕事にしようと決めたのは 中学二年生のとき
でした。
その頃 よっぽど車が好きだったのでしょう、今でも同級会に出ると 当時 隣の
席に座っていた女の子から 「カンチャン(あだ名)はいつ見てもノートとか
教科書(笑)に車と飛行機の絵ばっかし描いていたよ」っと冷やかし半分に言われ
ます。そんな状態でしたから 高校は迷うことなく機械関係の学校にしました。そして
卒業後は車メーカーのエンジン設計部門に就職しました。その職場では いま考えても
ワクワクすような夢のある仕事をさせてもらいました。(歴史的な仕事もさせてもらった
のですが そのことについてはまた後日、話する機会があるかもしれません。)
自分の夢が実現して、思い通りの仕事につけたのは 昨今の就職事情を見るにつけ 昔の
事とは言え ほんとうに恵まれていたと思います。そして 私には仕事の夢とは別にもうひとつの
夢が同時に進行していたのです。話は前後しますが そのもうひとつの夢は
中学三年生のときに見た一冊の雑誌から始まりました。車の雑誌だったのですが その
中の記事に 「車の次にくる乗り物」のことが書いてあったのです。内容を簡単に書くと、
「車の次にくる乗り物は空を飛ぶ乗り物であり、なおかつ ヘリコプターのように轟音や
すさまじい風を周囲にまき散らさない乗り物、そしてその中核なす浮力装置は例えば
L型の断面をもち なおかつ両先端が開放されている物体を高速で回転させたとき、
中の空気を追い払うことで負圧を生み、
結果として一方的な力=浮力を発生させる装置」のような記事だったと思います。
(ちょっと難解?)
その記事を見てから私の心の中に 車に関係するだけではなく、その車の
次にくる乗り物の開発に携わりたい、という思いが強くなったのです。そしてただ思う
だけではなく 実際に自分のアイデアを図面にしたり、模型を作って高校の卒論のテーマ
として取り上げたりしました。もちろん社会に出てもその思いは続き、農家の納屋を
借りて実験を繰り返したこともあります。
しかし こんな順調に進んでいた私の人生に思いもよらない試練が待ち構えていました。
就職後しばらくして、体の変調、友との別れ、実らぬ恋(笑)、得たいの知れない焦燥感等々がまるで
津波のように襲ってきたのです。その結果、その会社を退職して失意のうちに故郷へ帰って
きました。
地元に帰ってからも色々なことがありました。何回かの転職、家の新築、結婚、子供の
誕生、遅くまでの仕事、そして独立、十年があっという間に過ぎてしまいました。
自分の夢よりも 優先しなければいけないことが次々に続いたのです。そして いつか見た
「天高く 自由に空を飛ぶ乗り物」の夢が 皮肉にも「雲の上の話になってしまった」の
です。(笑)
ところが 7〜8年前だったでしょうか、ひょんなことから昔の夢を思い出す出来事に
出会ったのです。
次回へ・・
2007年12月2日
こんにちは
きょうは 連載の第2回目を送ります。
* 言霊(ことだま) *
私が「浮く」とか「飛ぶ」ということに非常に関心を持っていたことは 前回の
メールでわかっていただけたと思います。
夢が現実的な事柄のために遠のいたとは言え、
心の片隅に夢のかけらがまだ残っていたからでしょうか、7〜8年前に言葉の中に奇妙なことを見つけた
のです。それは日本語の46文字、すなわち あいうえお、かきくけこ、・・・・・を
見ていて気づきました。結論を簡単に言うと 私が興味を持っていた 「軽い、浮く、
飛ぶに関連した乗り物の名前が は、ひ、ふ、へ、ほ、”は行”に多く見られる」のです。例えば
は; ハンググライダー
パラシュート、パラグライダー
バルーン(気球)
ひ; 飛行機、飛行船
ふ; 船
風船
プロペラ、ファン・・飛行機の部品
フライングソーサー・・空飛円盤
へ; ヘリコプター
ほ; ホーバークラフト
ボート
・・・等々。
そして それは「乗り物」だけではなく「軽い、浮く、飛ぶ」に関連した言葉も 「は行に集中!」しているように思えたのです。
は; 葉(は)・・・・軽い、水に浮く、風に舞う
羽根(はね)・・飛ぶために必要、英語ではフェザー(は行)
パピヨン・・・・蝶々(ーが飛ぶ)
ハイ・・・・・・高い、高く(ー飛ぶ)
はるかに・・・・遠くへー
ひ; 陽(ひ)・・・・が昇る
火(ひ)・・・・が燃え上がる
光(ひかり)・・宇宙を飛び交う
ひらひら、ひらり(空気中をー)
ふ; ふ・・・・・・・食べ物(軽い)またはその状態
フライ・・・・・飛ぶ、ハエ(ーが飛ぶ)
ブーメラン・・・飛び道具
フリスビー・・・おもちゃ(飛ばして遊ぶ)
フロン・・・・・軽いガス(上空でオゾン層を破壊する)
ふわり、ふわふわ(空中をー)
へ; 屁(へ)・・・・軽いガス、(臭い・・笑)
ヘリウム・・・・軽いガス
ほ; 帆(ほ)・・・・風をうけてー
放物線(ほうぶつせん)・・を描いて飛ぶ
埃(ほこり)・・が舞い上がる
以上のようにちょっと頭に浮かんだ言葉を並べてもこんなにあります。たぶん
深く調べればもっともっとあるはずです。山が噴火(ふんか)するなどもそうですね。
日本には古来より 言葉(あるいは文字)には単なる意味だけではなく、その言葉
そのものに役割とかパワーがあると信じられていました。そしてそのことを
「言霊(ことだま)」と言っていたようです。私自身はその方面の専門家ではないので
はっきりしたことは言えませんが 私が考えるには「言霊」とは言葉のつづりではなく、
言葉を発する時の「音」にあると感じています。こう書くと大きな声で言えばそれだけ
言葉のパワーが大きいのか、と言われそうですが そうではないのです。「あ」と言った時は
「あ」の言霊、すなわち「あ」の役割とパワーが発生し、「は」と言った時は「は」の
役割とパワーが発生する、と言うことなのです。(ちょっと ややこしい!・・笑)
このように考えると日本語も英語も関係ないのです。「ア」と発音する言葉は「ア」の
言霊が生じるのです。たとえば英語を習い始めたときに発音を表すのに「カタカナ」で
フリガナをつけましたよね、それから日本語でも「音」を表す時「カタカナ」を使います。
「ギシギシ」とか・・。日本語も英語も「音」として(カタカナとして)とらえると
共通した部分が見えてくるのでは・・。だから前記した「は行」に日本語も英語も入って
きたのは当然だと思われます。そして その「ハ行」に共通した部分は「軽い、浮く、飛ぶ」と
言えるのです。「ハ行」の言霊にその「性格」、「パワー」があるとしか考えられないの
です。(ハ行のハタラキ・・1番目)
次回は「ハ行」から「未来の乗り物」のヒントを・・の予定です。
それでは・・
2007年12月9日
こんにちは
きょうは 連載の第3回目を送ります。
* ふの力 *
前回は日本語の「は行」には ある傾向があること、そして それは言葉自体が
持っている役割、力(言霊)から来ているのではないか!っと言うことを述べました。
それでは ここでちょっと実験を行ってみます。机かテレビの上に「埃;ほこり」が
たまっていたら 「ふっ!」と息を吹きかけてみてください。「ほこり」は見事に
吹き払われるはずです。そして(ここが肝心なのですがー)よく観察すると「ほこり」
の一部が舞い上がっているのが分かるはずです。もちろん「ほこり」の大部分は
「ふっ!」と吐いた時の息の流れで吹き払われるのですがそれだけだと「ほこり」は
「横方向」にしか移動しないはずです。上方向に舞い上がる「ほこり」があるのは
「ほこり」自体に浮く性質(言霊)があることと、息を吹きかけた時に発した「ふっ!」
の言葉に「ほこり」を浮かせるパワー(言霊)があるのでは・・・っと考えるわけです。
「ほこり」を吹き払う時は「ふっ!」でないといけないのです。
「おっ!」ではダメなんです。「おっ!」では”重く”なるのです。(笑)
さて 今回の実験で「は行」の言霊を解き明かしたかと言うと、残念ながら返って
信頼性を失ったような気がしないでもないような気がします(笑)が 気を取り直して
次の段階へ進みたいと思います。
「は行」の「軽い、浮く、飛ぶ」の言霊を表すのにもうひとつの方法があります。
私が「未来の乗り物」実現のために求めているのは 「うく力」です。そして言葉(文字)
の中に「軽い、浮く、飛ぶ」の言霊(パワー)を持っているのが 「は行」だということも
少し分かってきました。私は「は行」の中の「ふ」に注目してみました。
うく力→浮く力→浮力→ふりょく
ふの力→ふ力→ふりょく
言葉として「うの力」と「ふの力」が見事に一致しました。すなわち「浮く力」を得たい時は 「ふの力」を利用すればよいのです。”う”の事だけに なんか”うさんくさい 話だな(笑)”と思われたかもしれませんが 「う」と「ふ」を口に出して言って みてください。その時の口の形はほとんど同じだし、発音的にもすごく似ていますね。 また ひらがなの「う」と「ふ」、カタカナの「ウ」と「フ」。どこか似ているような 気がしませんか?音も形も似ていたら 性格も似てくると私は思います。「軽い、 浮く、飛ぶ」の言霊を持つ縦軸の「は行」と「浮く、渦、宇宙」などの言霊を持つ「う」 の横軸が交わるところに「ふ」がいるのです。どうも「ふ」には なにか重要な<ハタラキ>が あるように思えてなりません。
あ | か | さ | た | な | は | ま | や | ら | わ |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
い | き | し | ち | に | ひ | み | り | を | |
う | く | す | つ | ぬ | ふ | む | ゆ | る | ん |
え | け | せ | て | ね | へ | め | れ | ||
お | こ | そ | と | の | ほ | も | よ | ろ |
次回は「ふ」から「浮力装置」を作ってみたいと思います。
それでは・・
2007年12月16日
こんにちは
きょうは 連載の第4回目を送ります。
* ふの理論 *
大昔のことは私にはわかりませんが この地球上に人類が誕生してからずーっと
人は空に憧れ、自由に飛ぶことを夢見て来たと思います。鳥に習い、風を利用し、人は
重力から解放される努力を続けてきたのでしょう。そして その夢は百余年前に出現した
効率のよい原動機の出現で見事にかなえることができました。 それからの進歩は私が
言うまでもなく、めざましいものがあり 人類はほぼ「飛ぶ」ことへの夢を手中にした
かのような感があります。しかし 「車の次の乗り物」、もっと「みんなが自由に使える
乗り物」をー、っと考えたとき 完全に空を自分のものにしたとは まだ言いがたいようです。
機械工学、物理学、航空学、流体力学等々、これまで「浮力」を得るために使われた
方法とはちょっと視点を変えて 今回は「言葉の世界」から「浮力」を得るという世界で
初めて(笑)の試みを行ってみたいと思います。
前書きがちょっと長くなってしまいましたが 言葉の「ふ」から「浮力」を得る方法は
意外と簡単に見つかりました。この世界的な大発見(?)が こんなに簡単に
見つかっていいものかと思えるほどに・・・。(爆)
その方法は言葉(あるいは文字)の本質を表しているカタカナの「フ」にありました。
簡単に言うと 「フ」の形そのものが「浮力」を発生する形なのです。説明しやすいように「フ」を
回転させて「∧」とします。(「へ」でも良いかもしれません。) この「∧」を
分析(?)すると「∧」は直線の「ー」を一回折り曲げた形です。例えば 水が乱れる
ことなく真っ直ぐに流れている川があると仮定します。もしこの川の流れに直線(−)の
断面をもつ平板を流れる方向に立てたとしても 板の厚みを無視するならこの平板には
ほとんど力が作用しないはずです。しかし 直線に角度つけた「∧」の断面をもつ
板を同じように水流に立てたら どうなるでしょうか? 板には必ずどちらかの方向に
動かそうとする力が発生するはずです。すなわち 「フ」は「浮く、飛ぶ」の言霊を
有すると共に 「フ」の形,そのものが「一方的な力=浮力、を発生する形」なのです。
勝手ながらこのことを「フの理論」と名付けました。(”フの原理”の方がいいかな?・・笑)
言い換えるなら「フ」、「∧」、「へ」は最もシンプルな「浮力装置」とも言えるのです。
たぶん 飛行機の翼もプロペラもヘリコプターのローターもファンも 断面にこの「フ」が
入っているはずです。ブーメランなんか、まさにこの「フの形」そのものですね。
ただ これまでの「浮力装置」は「フ」の「∧」の形を利用していたように思われます。 そのため 廻りに風と轟音をまき散らす乗り物となり、「誰もが自由に乗れる乗り物」には 程遠い形になりました。「未来の乗り物」は「静かに誰もが自由に乗れる乗り物」で なくてはいけません。そして その乗り物の中核をなすであろう、「新浮力装置」の ヒントも また「フ」にあることが分かったのです。
それでは・・
2007年12月23日
こんにちは
きょうは 連載の第5回目を送ります。
* フは負 *
前回は「フ」の「∧」の形が持つ「浮力」について述べました。しかしこの「∧」
では「静かな・・」と言う理想的な浮力装置を得ることは望めないことも述べました。
そこで私は非常(非情?)な決意を持ってこの難問に挑戦しようと思ったのですが 結論
から言うと この世界的な大発見(この言葉、以前に使ったような気が・・)が
またしてもいとも簡単に見つかってしまったのです。(笑)
その方法は「フ」の「∧」の形を再び180度、回転することで見つかりました。
「V」すなわち「ブイ」の形です。この「V」の形そのものも「浮力」を発生する
形なのです。しかも「∧」と「V」は形が正反対のように 使い方次第では全く性格の
違う「浮力装置」になりえることも分かったのです。
では この「V」の形をよく見てみましょう。実は我々の生活の中にすでにこの
「V」の浮力装置が存在しています。この「V」は船(ふね;は行)やボート
(は行)の断面と同じ形です。そしてこの「V」の形のおかげで あの重い船もボートも
水の上に「浮かんで」いることができるのです。船の断面、「V」の2辺外側直角方向
より 水の「浮力」が発生します。そして その2辺の2力の合力が「↑」方向の
「浮力」となり 船の重さに打ち勝って船を「浮かせる」のです。
では 「V」が「浮力」を発生させる形なら 「V」を空気中に置いたら浮かぶ
でしょうか? いいえ 「V」は浮かびません。「V」を空気中に浮かせるには
一工夫が必要です。
ではまず 3辺が閉じた「▽」を考えてみましょう。この▽の中の空気を抜いて
真空に近い状態を作ったとき、▽の3辺直角方向に大気圧がかかることは誰でも
知っていることです。しかし この状態では3辺にかかる3つの合力は消しあって
しまうため 力的には「ゼロ」になって見え、一方的な力(浮力、推力)として
現れることはありません。
では ▽の1辺を外した「V」の中を真空に近い状態に保つことができたとしたら
どうなるでしょうか? 先ほど述べた船が水に浮かぶ原理のように 空気中でも
「V」が大気圧の合力と言う「浮力」を受けて浮かぶはずです。 このように「V」を
空気中で浮かすには 「V」の中を真空に、すなわち「負圧」にするという
工夫が必要なのです。
ここまで書くと 賢明なトンちゃんのこと、もう気づいているはずですね。
そうなんです。またしても「V;ブイ」も「負圧;フアツ」も「フの言霊」を
有した「フの仲間」なんです。見事に一本の線でつながっているのです。「ふ」は
「フ」であり、「浮」は「負」より生まれる。すなわち「フの力」は「負の力」でも
あるのです。(ややこしすぎる!・・笑)
この結論に至ったとき 私は”あること”を思い出してしまいました。ただ
きょうは時間がないので その”あること”については「は行のハタラキ、2番目”」で
述べたいと思います。
ここで「V=負の力」が「浮力」を発生させる実験を行ってみましょう。
まず 新聞紙をテーブルの上に置きます。そして その新聞紙の上に直角に下敷きを
立て その下敷きをすばやく横方向に動かして 新聞紙の上の空気をなぎ払います。
そうすると どうでしょう! 新聞紙の一枚が一瞬ではありますが上にあがるはずです。
また 新聞紙があがる瞬間をよく観察すると 新聞紙は真っ直ぐな状態であがるのでは
なく 一度折れた状態、すなわち「V」の形になることも見ることができるはずです。
この下敷きをモーターで回せば 連続的に「浮力」が発生することになります。そして
この「V」の形をした「新浮力装置」の一番の特長は 「∧」を利用した「浮力装置」が
「乗り物の外で浮力、揚力を発生する」のに対して 「乗り物の内で浮力、揚力を
発生させることができる」ことです。船やボートが静かに浮かんでいるように
もう廻りにすさまじい風や轟音をまき散らすことがない乗り物ができるのです。
( 不思議なことに中学生時代に雑誌の中で見た「L型」の浮力装置もまた方向は違いますが
「V」の形をしているのです。これはただの偶然でしょうか?)
それでは・・
2007年12月30日
こんにちは
きょうは 連載の第6回目を送ります。
* 苦手な数学で・・ *
前回までに 「ふの言霊」から「未来の乗り物」の中核になる「負を利用した
新浮力装置」の基本的な構造に至るまでを述べておきました。あとはいかにして
機械工学的手法を用いて 「V」の内を連続的に「真空あるいは負圧状態」に
させるか、ということにかかってくると思います。たぶん それは今日の技術力で
十分に開発可能と思われます。
それでは この「新浮力装置」がどれくらいの大きさになるか、試算してみましょう。
「新浮力装置」は円盤の上に置かれた「V」を高速回転で回し、その時発生する
遠心力で「V」の内の空気を追い払う部分と 「V」の上から侵入しようとする空気を
追い払う(新聞紙に立てた下敷き)部分から成る構造と仮定します。円盤上にスキマ
なく「V」をおいて その「V」の内が完全真空になった場合、「V」に発生する
「浮力」は円盤の面積に等しくなります。完全真空になった場合、1平方センチ(1
cm×1cm)あたり 1kgの大気圧(=浮力)が発生します。例えば 今、乗っている
小型乗用車を浮かすには(重さが約1200sありますから) 1200平方cmの面積を持つ
円盤を回転させる必要があります。最近 あまり数学を使ったことがないので計算に
自信がないのですが(笑) この円盤の半径を求めてみたいと思います。
この円盤の必要面積は1200平方cm、半径を求めると(円の面積=半径×半径×3.14)
より 約20cm、直径は約40cmとなります。もちろん 「V」の内を完全真空に
するのは非常に難しいので 仮に効率が50%の負圧とした場合、面積が2倍必要、
2400平方cmとしても 円盤の半径は約28cm、直径で56cmの円形の
浮力装置になります。この大きさだったら 現在の小型乗用車にもスッポリと収まるはず
です。「V」を利用した「新浮力装置」は あながち実用不可能ではないことを理解して
もらえると思います。
今回で「ふの言霊」から「未来の乗り物、新浮力装置」へー、の話は終わります。
次回は「ふ」から導いた「∧」又は「V」が水や空気(大気)の力を借りて「浮力」を
発生させるだけではなく、「∧」、「V」自体から力(パワー)が出ているのでは
ないか! そして それは我々が今住んでいるこの「宇宙」の「誕生」
に関係あるのでは!っという話になる予定です。 乞うご期待を(笑)
それでは 良いお年を・・
2008年1月6日
こんにちは
きょうは 連載の第7回目を送ります。
* は行のハタラキ・・2 *
日本語の は、ひ、ふ、へ、ほ、すなわち「は行」を見ていて もうひとつ気が ついたことがあります。
は; 反対、反体制、反社会的
ひ; 否定、批判、非常識
ふ; 負債、不幸、不機嫌
へ; 変化、変身、返還
ほ; ほす、ほご(にする)、ボツ
調べるともっとあると思いますが 簡単に書いてみました。
一般的に「は行」は否定するときや打ち消すときによく使われるようですが
「言霊」的に考えると「は行」は否定するだけではなく、「は行」には
”今の状態”をまったく”別の状態”に変える力(パワー、エネルギー)が
あるように思えます。
「ふ;不機嫌」で考えてみましょう。
「不機嫌」は見ての通り「機嫌」に「不」をつけて「機嫌」を否定する形を
とっています。しかし「不機嫌」は「機嫌が無い」ではありません。「機嫌が
悪い状態」なのです。対比してみると
機嫌(が良い)・・・正の状態=正のエネルギー=陽気
不機嫌(悪い)・・・負の状態=負のエネルギー=陰気
となります。 だから 近くに「不機嫌」な人がいれば、そのときは「負の
エネルギー状態(=陰の状態)」になっていますから 形相も悪くなり、言葉
(言霊)もきつくなり”怖いもの”を感じます。だから 「しばらく近づかないで
おこう」とした方が良いのです。(笑)
このように「は行」には「他の行、あ、か、さ、た・・」がいくら並んでいても、
頭に「は行」を持ってくるだけで その言葉の「状態」をまったく「逆の状態」に
してしまう「パワー、エネルギー」=「ハタラキ」があるのです。(は行のハタラキ
・・2番目)
言葉にそんな力(パワー、エネルギー)があるなんてことは信じがたい、と言われる
かと思いますが 最近の”バッシング”や”いじめの言葉”が 受けた人に言葉の意味以上に
ダメージを与えることは 誰も薄々感じているはずです。また 逆に言葉ひとつで
相手を立ち直らせることもよく経験することです。(我家ではない(?)のですが
夫婦喧嘩なども まず「言葉」から始まることが多いようです。・・苦笑)
では この「は行」の言葉の力(パワー、エネルギー)を証明する方法がないものか、考えて
みました。「音量計」のように測定器具で値をしっかり示すことができれば 誰しも
納得できるはずです。しかし これはある理由(後で説明)で不可能に近いことも
分かりました。ただ 証明する方法がひとつだけ、ないでもないのです。(まぎ
らわしい言い方!・・笑)
その方法とは「状態の変化」をみることです。「は行」を
使ったときに 「ある状態から別の状態に変化」が起きれば「何らかの力が作用」した
という間接的な証明になるはずです。でも ここで再び壁にぶち当たりました。その
「別の状態」が「形の変化」、「重さの変化」、「熱の変化」など眼に見える形では
ないのです。(むしろ その力(パワー)に触れると「癒される」とか「幸せになる」又
逆に「不幸」になるなど 眼に見えない形でしか表すことができないことが後々に分かった
のです。)
「う〜ん、困った!見えないものを見えるようにしなければいけない」。
こんな難題を私の小さな脳みそ(笑)でいくら考えてもこれ以上
事が進まないように思いましたが ただ ひとつだけ分かったことがあります。
言葉(言霊)には形も重さも熱もありません。(測定不可) しかし 力(パワー、
エネルギー)は存在するとなれば 我々がこれまでに経験したことのない現象だと
言えるのではー。 言い換えれば 「この世の物ではない!」と言うことになるのです。
(爆)
そして この「冗談めいた言葉」が 実は「言葉の力」を見つけ出す”ヒント”になるとは
その時は 想像もしませんでした。(どうも このあたりから「言葉」と「宇宙」に
密接な関係があるように思えてきたのも事実です。)
それでは・・
2008年1月13日
こんにちは
きょうは 連載の第8回目を送ります。
* 反宇宙 *
事務所の片隅に「トランジスカンティア」という植物が置いてあります。この植物は7〜8年前に
近所の方からもらったもので 「水草科」だと思われます。白い小さな花が何年間に一度咲きますが
よく見ないとわからないくらい目立たない花です。葉っぱは普段緑一色ですが 11月頃寒さが本格的に
なると緑の表面に白い斑(ふ)が生まれ 次第に葉っぱ全体に拡がっていきます。もともとこの
植物の葉っぱの裏面は濃い紫色になっているので 表面の緑が白色に変化すると裏面の紫色がすけて
見え、ちょっと離れるとまるでピンクの花が咲いているように見えます。そのことが”珍しい”
とのことでたくさんの方にお分けしたのですが 茎を2〜3cmに切って水の入っている器に入れて
置くだけで根が付く手軽さも皆さんには好評のようです。
また成長も早いので会うたびにその様子を聞くのが ひとつのあいさつに
なった時期もありました。だいたいは皆さん順調に育っているみたいですが花まで咲くのは少ない
ようです。それと事務所にあるものは緑の葉っぱがしっとり、露がかかったように光っているのでよく
皆さんから「どうして?」と不思議がられます。 私なりにその理由を考えてみたのですが 温度や水のやるタイミング
とかもあると思いますが 朝 ブラインドを開けるときに一声、言葉(言霊)をかけていることもひとつの
理由になっているような気がします。植物や動物に声をかけたり、音楽を聞かせたりすると成長に効果が
あることはよく聞きます。逆に悪い言葉(言霊)をかけつづけると植物がしおれてしまったり、動物の
気性が荒くなったりすることもあるようです。
やはり 言葉には目に見えない力があるようです。
ちょっと話が横道にそれてしまいましたが このあたりで本題に戻りましょう。
私が「ふ」から「浮力」を得る方法を述べたときに 「ふの力」は「負の力」であるということを言いました。
また そのとき”あることを思い出してしまった”とも言いました。その”あること”とは「負」という言葉
から頭の中に浮かびました。
「負」は「正」が存在するから「負」があるのではないか?などと真剣に
考えたわけではないのですが(笑) 中学か高校のときに聞いた話だったかと思います。
我々がいま住んでいる宇宙(正)が生まれるとき、ほんの何分の1秒、いえもっと短い時間かもしれません。
全く逆の反宇宙(負)が存在していたことをー。そして それは一瞬にして姿を消してしまったらしいのです。
このことを思い出したのです。その反宇宙(負)については多くの学者が知恵を寄せ合い、また莫大な研究費を
投じて探した結果、(専門的なことはよく分からないのですが) 粒子と粒子をぶっつけてそのとき発生した
反陽子を測定することによって ほぼ存在が確認されているようです。 (こんな
難しいことを考えていたら頭の配線がショートしそう・・・笑)
私は言葉には形も重さも熱もないのに力(パワー)があるのなら この宇宙では説明のつかない現象では
ないかと思いました。もしかしたら姿は見えないが存在が確認されている反宇宙(負)からその力が
来ているのではないか?っと思えてきたのです。しかし この突拍子もない考え方はすぐにまちがいだと
知りました。特に決定的だったのは「反宇宙」は「宇宙」に触れた途端に消滅することが確認されて
いることです。
再び 大きな壁にぶち当たってしまいましたが ここであきらめないのが私のいいところ、(自分で
言わないと誰も言ってくれそうにないので・・・笑)
こんな行き詰ったときは原点に戻ればいいのです。っと自分に言い聞かせて再び日本語の46文字を
見つめました。しばらくして 自分が少し勘違いをしていたことがわかりました。未知なる「言葉の力」は
難しいことを考えなくても ちゃんと言葉の中に書いてあったのです。それは「ウ」と「フ」を
見比べてわかりました。一般的に
日本語の「あ、い、う、え、お」は母音ですから どうしても「あ行」が基本のように思いがちですが
「言霊」的にみて 「ウ」は「フ」の形から成り立っています。言い換えると「フ」が基本になって「ウ」に
変化(成長)したと言えるのです。すなわち 「ウ」は「フ」から「ウまれた」のです。・・(笑)
「ウ」はたぶん「ウチュウ」であり また「ウズ」でもあります。そうすると ひとつの物語(?)が
できます。「フ(負)の世界」で「ウズ(渦)」がウ(生)まれ 「ウ(宇)宙」がハッ(発)生
したとー。(ちょっと飛躍しすぎかな?・・爆)
それでは・・
2008年1月20日
こんにちは
きょうは 連載の第9回目を送ります。
* 宇宙誕生 *
言葉の世界から宇宙誕生の物語を自分の都合のいいように(笑)書いてみたいと思います。
ふ ; フ(負)の世界または負のパワー(エネルギー)の世界
は ; ハは形の通り フが分裂した状態
う ; ウズ(渦) ウ、うは渦巻く形態を表している?。 フ→ウに変化
ぶ ; フに分裂したハがくっついた状態 フ→ブ(ブッシツ=物質)に変化
以上がこの物語に登場する俳優(?)達です。
宇宙が生まれる前のことは もちろん私にはわかりません。 また最近の「宇宙論」がどのように
なっているかも知らないのですが ここは知らない者の強み(?)で自由に発想をしてみたいと思います。
宇宙誕生には 二つの仮定があればいいと思います。一つは宇宙が生まれる前の世界は「負の世界」
だった、ということです。言い換えると「負のパワー(エネルギー)の世界」だった、ということです。
具体的に言うと 現在我々が住んでいる宇宙は「正の世界」=「正のパワー(エネルギー)の世界」と
したとき「正の世界」では「正のエネルギー」なので色々な物を「放出」します。「音」、「光」、
「熱」「パワー」等々。 しかし「負の世界」では全く逆の現象が起きます。全てのものを
「引き込む」世界なのです。 「音」も「光」も「熱」も「パワー」も引き込まれてしまいますから
全く「無音」、「暗闇」、「熱が無い」世界だと考えてください。(しかし 無ではありません)
これが仮定の1番目です。そして この「負の世界」にあることがきっかけで一点に集中する出来事が
起きたとします。これが2番目の仮定です。宇宙誕生にはこの二つの仮定があればいいのでは、っと・・
(笑)
分かりやすいようにイメージで説明したいと思います。我々の世界では 池に小石を投げ込むと
その場所から波紋(ハモン)が拡がっていきます。しかし 「負の世界」では池に小石を投げ込むと逆に
波紋が寄ってくるのです。これは「負の世界」は「引き込む世界」だからです。 このことは容易に想像する
ことができると思います。それではその後、どうなるのでしょうか?我々の「正の世界」では投げ込まれた
小石による(放出)エネルギーが徐々に拡散して 最後には何もなかったかのように水面から波紋が
消えてしまい元の状態に戻ってしまいます。しかし 「負の世界」では小石で空いた穴を埋めるかのようにまわりの「負の
エネルギー」が集まってきます。そうすると「負のエネルギーの蓄積」が始まります。蓄積すると益々
「引く力」が増しますから益々周囲のエネルギーを引き込みます。「負の蓄積連鎖」が起きるのです。
広範囲に「負の集中」が起きると 風呂の水を抜いたときのように当然「ウズ;渦」が発生します。それは
地球上の台風に似ており また宇宙ではブラックホールに似ているかもしれません。とにかく「負の世界」に
発生した「ウズ;渦」はその中心にとてつもない「負のエネルギー」を貯めこむのです。そして極限の状態
に達したとき そのエネルギーがハジケタ(爆発)のです。引き込む性質をもつ負のエネルギーが放出の正のエネルギー
に変わった瞬間です。これがいわゆる「ビッグバン」の真相では・・?(笑)
それでは・・・
2008年2月3日
こんにちは
きょうは 連載の第10回目を送ります。
* ビッグバン *
ビッグバン以降のことは現在我々が住んでいる宇宙のことですから かなりその様子が分かって
きているはずです。ほんとうは最近の研究結果等を調べればよいのでしょうが そうすると”想像力”が
なくなってしまいそうな気がするので このまま無知(笑)の状態で続けていこうと思います。
私が思うに 「ビッグバン」は風船のように他の世界から隔離されてふくらんでいるのではなく
むしろ花火のように他の世界を取り込みながら膨張しているのではないかと思っています。負の世界で
発生した「一点への集中」、その結果ウズが生まれ、渦の中心に巨大な負の蓄積ができる、そしてその負の
蓄積が限界に達したとき爆発が起き 現在も膨張を続けている、しかしこの膨張を続ける現宇宙もやがては
勢いを失い膨張が止まる運命にあるのです。いえ 膨張が止まるだけではなく もともとは負の世界から
生まれた現宇宙ですから 引き込む力が働いて急速に収縮に向かうようです。(まるで負の世界に空いた
穴=ホールをうめるように) 最終的にはすべてが負の世界に引き込まれ まるで何もなかったか
のように 真っ暗で 音のない しかし負のエネルギーがある元の世界に戻るのです。ただし
ひょとしたら 何百億年後にまた「一点への集中」が始まるかもしれません。また現宇宙も初めての宇宙で
ないかもしれません。いずれにしろ我々の思考能力で及ばないようなスケールと時間の流れのなかで事が
進んでいると思われます。
さて 空想(笑)はこの辺で止めて 少し現実味のある話をしましょう。ビッグバンによって
少なくとも次のようなものが生まれたと思います。
1、音
2、光
3、正のエネルギー(パワー)=物質
もう少し発展させるとー
1、バーン →音(OTO)→言葉(KOTOBA) →ハ(HA)、ヒ(HI)、フ(HU)、ヘ(HE)、ホ(HO)
2、光 → ひかり(HIKARI) → 日(HI)、陽(HI)、火(HI)
〃 → 〃 → 霊(ひ)→ 霊止(ひと)→ 人(ひと;HITO)
3、エネルギー(パワー)→ ブッシツ → 水素(H)・・・水(H2O) →風呂;フロ(HURO)
ちょっと 下心有り(?)のあげ方をしましたが 要するに言いたいのは前記したように現宇宙は
負の世界とまったく相反する世界ではなく むしろ現宇宙は
負の世界の一部であり、負の世界の性格を色濃く引き継いで
いる世界ではないか?っと言うことです。その傾向が上記の1,2,3に見られます。日本語では
「は、ひ、ふ、へ、ほ」。ローマ字では「H」がキーワードになっています。この「H」はビッグバンで
最初に生まれた物質と言われる水素の元素記号でもあります。最初に生まれた物質だけに負の世界の
影響を強く受けているのは間違いないはずです。また その「H」を言霊に含んでいる
「物質」、「光」、「音」もまた負の世界の影響を受けているように思います。このことを証明するのは
非常に難しいのですが 以前に言った「状態の変化」という方法を使ってみたいと思います。
例えば 言葉ですが人は笑うときに「は、ひ、ふ、へ、ほ」を使います。「はっはっは」とか。これは
笑い声をあげることで自然に「負のエネルギー」を取り入れているのではないでしょうか!人は笑い声を
あげることで愉快になり、ストレス解消になるのです。「は、ひ、ふ、へ、ほ」で「状態の変化」が
起きたのです。(走っているときにハッ、ハッ、ハッっと息づかいをするのも関係あるかも・・)
次は光の「日、陽、火」ですが よく縁側でおばあちゃんが日向ぼっこをするシーンがありますよね。
これもやっぱり「負のエネルギー」を取り入れている行動だと思われます。これを続けると なぜか気持ちよくなって
「コックリ、コックリ」となってしまうわけです。(笑) 日光浴なども同じですね。
「日、陽、火」によって「状態の変化」が起きたのです。
最後に物質の「水、風呂」ですが ほとんどの人は風呂に入ると心が癒されるのではないでしょうか。
特に「フロ」は言葉そのものが「フの溜まっているもの」を表しているような気がします。フロに
入ると心も体も癒されるのです。「状態の変化」が起きるのです。それから これは想像になるのですが
今晩フロに入った時、おもわず口から出ているはずです。
「負(フ)ーッ、いい湯だな!」という言葉がー。(爆)
それでは・・
2008年2月10日
こんにちは
きょうは 連載の第11回目を送ります。
* 富士山・ピラミッド・・ *
「負の世界=負のエネルギー」を感じることができるものを今回も探してみましょう! もちろん
前回同様、「ハ行の言霊」と「状態の変化」をたよりにしての話ですがー。
たとえば 「富士山;フジサン」、「ヒマラヤ山脈;ヒマラヤ」、「ピラミッド」などに
「ハ行」が用いられていますが。 このように他の個所より高い所に「ハ行」が使われているのは
単なる偶然ではないような気がします。理由があるはずです。そこに「負のエネルギー」が
”溜まっている状態”を感じるからあえて「ハ行」が使われたのではないでかと思います。
「フジサン」は昔から「霊山=ヒのヤマ」として人々から
崇められ信仰の対象となってきました。その山容の美しさ以上に”何か”を人々は感じていたのでは
ないでしょうか。「ヒマラヤ」もまたしかりです。もともと山の成り立ちは「噴火;フンカ」から始まって
おり、まさしく「フとヒ」、「負のエネルギー」そのものであり、宇宙創造の「ビッグバン」に近い
形でできた、と言えます。その「負のエネルギー」が冷えて「物質化」したのが現在の「富士山」です。しかし
冷えたとは言え、まだ少しは「負のエネルギー」が残っているはずです。その山頂部分は特に強いものが
あるのでしょう。「一度でもいいから」っと人々は「富士山」の頂上を目指すのです。私は登ったことが
ないのですが たぶん 苦労して登った富士山の頂上は最高でしょう! 登りきったことに対する
「達成感」、汗をかいたあと 山の涼風に触れる「爽快感」、また「フロ」でも述べた「心への癒し感」、
「何とも言えない幸福感」も感じられるはずです。私はこの「癒し感とか幸福感」こそが「負のエネルギー」
を説明する有力な方法ではないかと思っています。確かに機器で測定できない未知のエネルギーですが
富士山の頂上に登るとはっきりと「その状態」を「感じる」ことができるのです。そして そのあとは
”御来光(ヒ)”を拝むのです。ここでまた「崇高な気持ち」(状態の変化)を経験するのです。
強弱はあるかもしれませんが 他の山に登っても同じだと思われます。 人は「山がそこにあるから登る」
のではなく、「山に負があるから登る」のです。 (笑)
さて エジプトの「ピラミッド」も人工的に作った”山”のひとつと見ることができます。
もともとピラミッドの誕生は自然の山からとの説があるくらいで 日本各地にも
「古代ピラミッドでは?」と言われる山々がたくさんあります。では「噴火」でできていないエジプトの
ピラミッドに「負のエネルギー」があるのかと問われそうですが それに対してはピラミッドを作って
いる素材そのものが 山と同じ”岩石”だから、っと答えることもできます。しかし 私は岩石もそうかも
しれませんが むしろ その形に「負のエネルギー」が溜まる理由があると思います。「フ」の「∧」が
「負のエネルギー」を発生する形なのです。「富士山」も「ヒマラヤ」も「ピラミッド」も断面が「∧」
になっています。もともと「負のエネルギー」を持つ性格があるのです。苦労してピラミッドを作る
理由は色々あったとおもいますが 何か人智では計り知れない「パワー=エネルギー」の発生を目指したのも
一つの理由だと思います。(ピラミッドパワーは実際の実験、野菜の栽培などで立証されているようです。)
ピラミッドは山のない平地でも「負のエネルギー」を発生させることができる形(∧)なのです。
ピラミッドも「ハ行」でいいのです。 (笑)
スケールは小さくなりますが 今度は身近にあるもので「負のエネルギー」の存在を推理してみたいと
思います。「∧」の角度が小さくなった特別のものがあります。「刃物」、「包丁」、「はさみ」、「針」、「びょう」
、「ピン」、「ピック」、「フォーク」等〃。なぜか 鋭い形のものに「ハ行」が多く使われているようです。そして
これらの物に共通して言えるのは ”なにかエネルギー”を感じることです。それも”怖いエネルギー”
です。「負のエネルギー」が「一点に集中」しているからでしょうか。
「∧」が出たので「V」についても述べておきたいと思います。「V」は山の反対、谷(バレー)で
あり 穴(ホール)の形をしています。「∧」より むしろこちらの方が「負のエネルギー」が強いようです。
「癒し感」を通り過ぎて こちらもちょっと「怖いもの」を感じます。
(参考;谷はValley Vを使っているのは奇妙な一致?)
それでは・・
2008年2月17日
こんにちは
きょうは 連載の第12回目を送ります。
* 人(ヒト) *
人は生活や人間関係に疲れたとき 山や森に出かけます。
きょうは最近ブームになっている「森林浴」から始めてみたいと思います。
「森林浴」が人間の心と体に「良い影響」を与えることはもう疑う余地のない
ところですが 「なぜか?」っという理由はまだはっきりしていないようです。木から
出るある物質とかマイナスイオンとか色々な説があるようですが 私自身は森林浴で「癒し感」や「いいしれぬ
幸福感」を感じるのは「日〈陽)」と「葉」があるから、と考えています。「ヒ」と「ハ」、「日(陽)」の持つ
「負のエネルギー」は直接的なため ちょっと人間にとって強すぎるようです。短時間だったらいいのですが
時間が長くなると「ヒにヤケル」すなわち「日焼け」になってしまいます。(ちなみに体にいい「フロ」も
あまり長く入っていると「フにヤケル」すなわち「フヤケル」になってしまいます。)このように
「負のエネルギー」は直接取り入れたり、あまり長く触れたりすると 人間にとっては害になる性質を
持っているようです。森林では直接的な「日(陽)」のエネルギーを「葉っぱ」が適度な強さに
コントロールしているからこそ 心と体にやさしく感じられるのだと思います。このような考え方を
すると確かに雨の日に森林浴をする人はいないし 葉っぱのない森林で「癒された」という人もいない
ことにうなづくことができるかと思います。森林浴に「日」と「葉」が欠かせないのです。その上適度な
そよ風(フウ)があれば もう言うことなしです。(笑)
おもしろいことに「森林浴」と「風呂」で
共通しているのが「浴」という言葉です。どちらも心と体にいい影響を与えるエネルギーが同じものだと
気づいた人がいたのでしょうか?
さて ここからはきょうの本題である「人」について述べたいと思います。「人」はささえあって
生きるから「人」と書くのだと教えられたことがありますが 確かにその通りだと思います。 ただ
「人」は「霊;ヒ」と「肉体;ブッシツ」から成り立っていて 「霊」が「肉体」に「止まった」状態、
「霊止;ヒト」である、という考え方もあるのです。 きょうは後者を取って話を進めて行きたいと思い
ます。 言霊的に解釈するとビッグバンで発生した「光;ヒカリ」から「霊;ヒ」が生まれたものと
考えられます。証明になるか、どうか、わかりませんが
確かに無償の愛で人々を救った聖人などは「光の人」と言われますし、我々も青春時代を
なつかしむとき「あの時はひかり輝いていた」などと言います。また 昔の絵画でりっぱな宗教者を
描くとき 後頭部から「ひかりの輪」が出ているのをよく見かけます。このようなことを見ても
「霊止」の「霊」の本質は「ヒカリ」では・・? っとなるわけです。
それでは もう一方の肉体(ブッシツ)はどうでしょうか? 細かな数字は忘れましたが 人の身体の
60%(?)以上が水でできていたはず、その水は「フロ」の元になることでも分かるように
「負のエネルギー」の影響を強く受けているブッシツです。当然、「人」はまた「霊も肉体」
も「負のエネルギー」で満ちている存在だと言えます。そのためか人体の名称にたくさんの「ハ行」が
使われています。
ヘアー、ヘッド、ひたい(額)、はな(鼻)、ほほ(頬)、は(歯)
ひふ(皮膚)、ほね(骨)、バスト、ヒップ、ペ××(男性)、バ××(女性)
フット(足)、ひざ(膝)、ひじ(肘)、フィンガー(指)、へそ(臍)、はら(腹)・・
どう考えても 「人」は「負のエネルギー」と密接な関係があるようです。男女が結婚すると
「夫婦;フウフ」と言いますし 特に女性は山(∧)と谷(V)のときに述べたように構造上、谷(V)に
なりますから「負のエネルギー」が強いと言えます。男性が「母;ハハ」や「婦人;フジン」に
強い「癒し感」を覚えるのはこのためです。(笑)
会社を終えたお父さんが帰りにきれいなママさんの店に寄るのもたぶんこの傾向が出た結果と
思われます。 お父さんは「イヤシ」を求めたのであり、けっして「イヤラシイ」気持ちはなかった
はずです。 (爆)
いつものようにちょっと話が脱線してしまいましたが最後に”ビシッ!”と決めたいと思います。
「人」はビッグバンで生まれた「ひかり」と「物質」を得てるのですが もうひとつの「音=言葉」も
授かっているのです。これは他の動物にはない特長です。言葉は「人」が「人」であるためのすばらしい
宝物なのです。しかし この言葉も使い方によっては鋭い刃物と同じように鋭い凶器になる性格を
持っています。なぜなら 「OTO」、「KOTOBA」でわかるように言葉の元は「OTO」
なのです。「OTO」はときとして すさまじいエネルギーを発します。相手を深く傷つけるの
です。だから なるべく「言葉」は「癒し」を感じるくらいのエネルギーで使う必要があるようです。
「言葉」の「葉」は森林の「葉」のようにエネルギーをコントロールしてくれる、という願いが
こめられているような気がするのです。
それでは・・
2008年2月24日
こんにちは
きょうは 連載の第13回目を送ります。
* は行のハタラキ・・3番目 *
少し話が長くなったので ここでちょっとまとめてみたいと思います。
は行のハタラキ(1番目)・・「軽い」「浮く」「飛ぶ」に使用される傾向がある。
は行のハタラキ(2番目)・・「は行」の使用で全く「逆(別)の状態」になる。
は行のハタラキ(3番目)・・???
「は行のハタラキ・・3番目」ですが 「は行」には物事を”きれいにする”や”清浄”にする時の 「動作や道具」に使われることが多いようです。
はらう・・・ゴミをはらう。ホコリをはらう。虫を追いはらう(はたき、ほうき、ブラシ)
はらう・・・お金をはらう。注意をはらう
ふく ・・・テーブルをふく。汚れをふく。(ふきん、ハンカチ)
ふく ・・・傷口をふく(吹く)、神風がふく(風)
あらう・・・「はらう」の同義語? 食べ物をあらう(水で洗う)、心があらわれる、
わらう・・・「わらう」は「はらう」。嫌なことをわ(は)らい飛ばす。(ハッハッハッ)
このように 人は生活の中で知らず知らずのうちに「は行の行為」、「は行の道具」を
使っているようです。正月に神社で「おはらい」を、家を建てるときも「おはらい(地鎮祭)」を、
新車を買ったときももちろん「おはらい」を、ある年齢になると「厄はらい」を、年暮れには「すすはらい」
を、っと節目々々で「はらう」は重要なハタラキをしているようです。おおげさな言い方をすれば
わが国は特に「はらう文化」の一面を強く持っている、っと言ってもよいかと思います。
では なぜ人は「はらう」、「ふく」、「あらう」、「わらう」にこだわって生活をしているのでしょうか?
私には全く意味のない行為だとは思えません。たとえば こんな風に考えたらどうでしょうか。
「はらう」→「きれいにする」→「清浄にする」→「正常にする」。
つまり 「はらう」行為は「清浄、正常」につながることを昔の人が知っていてそれがいろんな風習や習慣
として我々に残した、と思えるのです。そして それは意味のない、単なる行為ではなく「はらう」ことが「人の幸福」に
必要なことを現代人もまた薄々感じているからこそ大切に引き継いでいるのではないでしょうか。
また 「はらう行為」は「元の状態に帰る行為」と言い換えることもできます。人はなぜ、元の状態に帰る
行為をするのか、これは「は行のハタラキ・・2番目」までに話したことが大きく影響しています。我々が
今住んでいる「現宇宙=物質宇宙」は元々ちょっと無理して(笑)できた宇宙なのでアンバランスな
状態で成り立っていると言えます。
膨張はしているのですが 反面、常に元に戻ろうとする「力」がすべてものに働いているようです。そのことが
人の身体にも、生活にも、地球上の出来事にも、宇宙の現象にも、大きく影響を与えています。
毎日、「ほうき」で「掃除;はらう」をするのはこのことと大きな関係があるのです。(爆)
それでは・・
2008年3月2日
こんにちは
きょうは 連載を一回お休みして緊急の報告をいたします。(笑)
以前に話したかもしれませんが 私の住んでいる「富山県」は三方は山々に囲まれ、もう一方は
海に面している地形をしています。その中で特に目立つのが東側にある
北アルプス・立山連峰の山々です。まるで屏風を立てたようなその姿は迫力満点で 特に今日のような
冬の晴れた日はその雪の白さが際立って見え 県外から初めて富山を訪ねてこのパノラマを目に
された方は しばらく動けないほどのすばらしさがあります。
きょうはこの立山連峰の中でも特に険しい山容を見せているわが町のシンボル「剱岳」と事務所のテーブル
に置いてある2枚の写真から始まった不思議な話を届けます。
まず テーブルの小さな写真は「剱岳」の初冬を撮ったと思われるもので頂上付近を含めて「剱岳」の
容姿がよく分かる写真です。これは私の小学校時代の恩師からいただいたもので 昨年 長年の教育界での
貢献が認められ、皇居で勲章を授与されたあと、まわりの方々に感謝の気持ちを込めて配られたものの
ひとつです。ただ 先生自身も写真の趣味があるのですが この写真については我が社からそんな
遠くはない ある会社の社長さんが撮られたものだと聞いていました。その時はお名前は知っていたのですが
面識はありませんでした。
さて もう一枚の写真ですがこの写真も同じ社長さんが撮られた写真で 去年 富山県で1番有名になった
写真かもしれません。「剱岳」だけではなく立山連峰の朝をー、太陽が大窓(深い谷の名称)から昇る
瞬間をとらえたものですが 特にその陽光がロケットの噴射炎のように空に向かって伸びている姿が
すごく印象的です。(メールで届けたいのですが ご本人の了解を得ていないので今回は無理です・・笑)
その時の雲の状態が映画のスクリーンのような効果を出したらく 何十年に1度の瞬間を見事にとらえた
写真となっています。新聞の年間大賞を取った写真ですから 私もその存在は知っていたのですが1ヶ月
前にはまだテーブルの上にこの写真はありませんでした。この写真をいただくきっかけになったのは ある
1本の電話があったからです。
「新聞で見たあのすばらしい写真、わけていただけないか、聞いてもらえないかな」
場所が近いというだけの理由で 聞き様によってはずいぶん乱暴な電話だったのですが お客様であり、
友人でもあるこのH君の申し出を快く受けました。さっそく電話をかけたのですが当の社長さん、
なかなか忙しい方で(私とは大違い・・笑)不在のため電話に出ていただけないことが続きました。
そんなとき、最初の”不思議”が起きたのです。友人の電話があった1週間前に この社長さんの
会社に勤めている女性従業員の方の車を初めて修理させていただいていたのです。そして なかなか
社長さんに電話が通じないで困っていたとき、この女性が修理の支払いにみえたのです。ここは
”渡りに舟”とばかりに ちょっと図々しいかな、とはおもったのですが 思い切って写真のことを
お願いしてみました。(社長さんの写真がテーブルの上にあることも話しました。) すると
「いいですよ、たぶん社長も喜んでくれると思います」っと快く返事をいただいたのです。(友人からは
1枚だけ頼まれていたのですが ちゃっかり私の分もお願いしました・・大笑)
次の日の午前中、
社長さん自ら写真を持ってきてくださったのにはびっくりしました。お礼の言葉を一言、二言しか言えない
ほどの短い時間だったのですが すごく謙虚な方だということが強く心に残りました。
写真が手に入ったのでさっそく1枚はテーブルの上に そしてもう1枚は友人に連絡をして取りに
きてもらうことにしました。翌日に友人がきてすごく喜んだのはもちろんですが そのときに写真を見て
妙なことを言うのです。朝日が帯状に空に向かって伸びているのは前に言いましたが このオレンジの光は1色ではなく、
光が谷から出た部分が ちょうどローソクの内炎のように白い炎になって見えるのです。そしてその形が
友人にとっては「観音様」の姿に見えると言うのです。言われてみれば確かに各地で建立されている
「観音様」に似ているようにもみえます。何十年に1度の奇跡的な朝日とその中に見える「観音様」らしき
姿、もうこれだけで十分 きょうの「不思議な話」の本題になりそうですが 実はもっと不思議なことが
やはりこの友人が4〜5日後に来たときに起きたのです。
「剱岳」が写っているもう1枚の小さな写真を見て 再び変なことを言ったのです。
「実は剱岳を横にして見ると観音様の顔になっているよ」
半信半疑ながら 写真を90度傾けて見ました。するとどうでしょう!確かに「剱岳」が「顔」に変わった
のです。「剱岳」の頂上が鼻にあたり、両目も額も頬も髪も口も顎もあるのです。特に雪の積もりぐあい
でそうなるのでしょうか、左目のまぶたは厚ぼったく見え 「仏様」の半開きの目によく似ています。
顔はしっかり天に向かっていますが少しこちらの方に向いているのでより立体的に見えます。友人に
言わせると「寝観音」だそうです。
正直に言うと女房はすぐに分かったらしいのですが 最初は私にはやはり「山」としか見えませんでした。
しかし 何日か見続けていたらある日、突然はっきりと見えてきました。そしてその時思ったのです。
こんなすばらしい光景をたくさんの人に見てもらったら良いのでは、っと・・。 そこで女房に
誰に相談すればよいか、を聞いたのですが 結局 写真をいただいた恩師に相談することに決めました。
写真の上に透明なカバーをあて、それに顔に見える部分を手書きでトレースしました。この方がより
説明しやすいと思ったからです。そしてその日は 明日電話をしようと思いながら事務所をあとにしました。
次の日、奇跡=不思議が起きたのです。朝1番に来たお客様が 電話をする予定の恩師ご本人だった
のです。2千人ほどのお客様の中からたった一人の方が久しぶりに来社されたのです。当然 私は愕然としながらも
伝えたかったことを話しました。先生もすごく感動され私の用意した資料を持って帰られました。
今後この話がどのように展開して
いくか、分かりませんが また新しい情報が入ればお知らせします。
もし 富山を訪ねる機会があったら ぜひ「剱岳」を仰ぎみてください。写真でみるより 本物の方が
よりリアルに見えます。私の知人に紹介した時、見た瞬間”鳥肌が立った”と言っていました。
ただし 気候や季節により
山々が見えないことは多々ありますので その点はご了承願います。(笑)
たぶん 私は明日からも事務所の前に出て首を90度傾けながら「剱岳」を見続けるはずです。
でも ほんとうに首を傾けるのは 私の姿を見る道行く人々かもしれません。
「あの人、大丈夫?」って言いながら・・(爆)
それでは・・
2008年3月9日
こんにちは
きょうは 連載の第14回目を送ります。
* 私の「こだわり」 *
連載を1回休みましたが また再開したいと思います。
人が日々の生活の中で「掃除」を欠かさないのは 単に自分の生活場所を「きれいにする」だけでは
なく もっと深い意味があるような気がします。大げさに言うと「掃除する」ことが「現宇宙の
成り立ち」と関係あるのでは?っとなります。(笑) では その話に入る前に以前に述べた
私の「こだわり」をここでコピーしておきます。
一部この連載と重なる部分があると思いますがご了承願います。
2006年10月22日(日)こだわり・1
今日はちょっと車の事を離れて 「私のこだわり」について述べたいと思います。
私自信はそんなに「主義、主張」の強い人間ではなく 日々を平凡に過ごしている
者ですが ただ一点だけ,これをしないと気が済まないということがありあます。
それは朝起きて一番にすることが 自分の部屋の床面と廊下の掃除です。朝早くから
掃除機を使用すると家族皆んなからヒンシュクを買いそうなのでもっぱら音の出ない紙製の
ワイパーを使っています。それから事務所に出てまず行うのが掃除機での掃除です。
全部掃除機をかけるとたいへんなので 半分ずつ2日間にかけて行っています。
これが私の”こだわり”です。 「そんなの誰でもやっていることで 珍しくも
なんともないじゃん」と皆さんの期待(?)を裏切るかもしれませんが 実は私の
”こだわり”は掃除をするという行為でなく むしろ”考え方”かもしれません。
「そのこと」に気づいたのはだいぶ前になるのですが それは「言葉がもつ言霊」に
興味を持ったことがキッカケでした。(言霊;言葉が持つパワー、または霊力・・
辞書より)
「掃除」をするのはもちろんゴミやほこりを取ってきれいにすることが目的なのですが
この「掃除」の「掃」の字を調べて見ると「はらうとか、はらって取り除く」という
意味があるのです。そしてこの「はらう」という行為が 単にゴミ等を取り除くという
意味合いだけではなく「言霊的」に考えると むしろ神主さんが物事の始まりに
行う「はらう;おはらい」に通じるのではないかと・・・。
だから 朝一番で行う「掃除」は単にゴミを取り除くだけではなく 神主さんが
”邪悪”なものを取り払うために行う「おはらい」の意味もある。となるわけです。
部屋の掃除の他に 車に乗ったら暖機運転中に備えつけのハンカチでそっとホコリを
はらう、机に向かって仕事を始める時にティッシュでサッとゴミをはらう、そして
パソコンを開けたら専用のモップで画面をはらう、こんな仕草が私の日課となっており、
また私の「こだわり」となっているのですが ここまで書くと皆さんに「変人」扱い
されそうですネ。でも誰にも迷惑をかけない「こだわり」なので これはこれでいいの
かと・・・(笑) ただ 現代では掃除は「掃除機」で行うのが当たり前になっていますが
一昔前の日本では”ほうきでゴミをはらい、ハタキでほこりをはらっていた”のも
事実です。そしてこの「はらう」という行為は皆さん気づいてはいないのですが
意外と生活の中に自然と取り入れているのです。この”珍説”、まだまだ続くのですが
長くなりそうなので次回に譲りたいと思います。(今朝の新聞で”そうじ力”という
本が売れている、と紹介されていましたが わたしの”こだわり”と相通じるものが
があるかもー。一度読んでみたいと思っています。)
2006年10月29日(日)こだわり・2
今回は 私の”こだわり”である「はらう」と言う行為、言葉について もう少し詳しく 分析(?)をしてみたいと思います。具体的な例としてよく「はらう」の対象になる 「埃;ホコリ」について考えてみたいと思います。「埃」を辞書で調べてみると 大きく別けて次の2つの意味があるかと思われます。
1 汚れ(ヨゴレ)・・ゴミやチリ・・目に見える物
2 汚れ(ケガレ)・・よごれた状態・・目に見えないもの
このように 「埃」を「はらう」と”ヨゴレ”と”ケガレ”が同時に取り払われる
のです。そして その後には「清浄な物、清浄な場」が残るのです。「類は類を呼ぶ」
のコトワザがあるように「埃は埃を呼び」、「清浄のものは清浄なものを呼ぶ」法則(?)が
ありますから なるべく「埃;ヨゴレ、ケガレ」は はらって生活をしたほうがいいのです。
実際にどのような効果があるかといいますと、我々が生活をしていく上で色々なトラブルが
発生しますが この時「ヨゴレ、ケガレ」が少ないと「大難が小難に、そして小難が
無難にー。」の傾向が強くなるのです。これは体験してみないと効果が判りづらいかもしれ
ません。ただこのような”珍説”がわからなくても 人々は生活の中で非常にうまく、
「はらう」行為を自然に取り入れているのです。
正月に神社で”おはらい”を受けます。
新車を買った時、家を新築する時、「おはらい」をいただきます。
相撲の取り組みの前に土俵をほうきではらっていたような気が・・・
年末には「すすはらい」でその年を終えます。
食事前には手をあらいます。(あらうとはらうは同義語と考えられます)
食材もよくあらい、食卓は布きんでふきはらいます。
ハエが来たら追いはらいます。(追い返すではない)・・(笑)
着ていた服はほこりをはらい、汚れがひどいとあらいます。
夜は風呂に入って体をあらい リフレッシュさせます。
そして朝は窓を開けて よどんだ空気をふきはらい、顔をあらい、
廊下のふき(はらい)掃除を行うのです
まだまだ色々な「はらう」行為があるのですが きりがないのでこの辺で止めておきたい
と思います。「はらう」→「清浄化」→「正常化」、こんな想いで物事にあたったら
日々の生活が少しは変わってくるのでないかというのが”私のこだわり”となって
います。今回で「私のこだわり」は終える予定だったのですが まだまだ書き足らない
部分がたくさんあるので もう一回 書いてみようと思います。”私のこだわり”が
実は”宇宙創造のビッグバーンにつながっているのではないか?”というとんでもない
話になる予定です。乞うご期待を!・・・(爆)
2006年11月5日(日)こだわり・3
私の”こだわり”も3回目になりました。ちょっとしつこくなるかもしれませんが
もう少しだけ述べたいと思います。前回までに「はらう、あらう」と言う行為が
単にゴミや埃を取り除くだけではなく 実は「ケガレ」と言う目に見えない部分も
はらっているのではないか、と言う事を述べました。「そんなの言葉のこじつけだ!」
と思われた方もたくさんあるかと思いますが 気にしないで(笑)自論を推し進めて
いこうと思います(スゴクわがまま!)
さて「はらう、あらう」行為は生活の中に
まだまだたくさんあるのですが 物を買ったときに行う「支払う」も「はらう」行為の
ひとつだと思われます。物をいただいた替わりにお金をはらう。「支払う」ことで
物としての”貸し借り”がなくなると同時に相手に対して「ケガレ」がない状態に
戻ることができるのです。(=清浄な状態) だから物を買ったらお金を「あげる」では
なく「支払う」でいいのです。ただ最近の世相を見ていると少し心配になることが
あります。それは色々便利な「支払いシステム」が開発されて 物が手に入りやすく
なったのは良いのですが ほんとうの意味での「しはらい」になっていないような気が
するのです。物を得ても「支払い」が終わっていないのは ”財布の中の埃”が溜まって
いる状態ですから”埃が埃を呼ぶ法則”が働いてあまり良い方向には行かないことが
多いようです。その最もたる形が今話題になっている「多重債務」状態ではないで
しょうか?私も事業上”借り入れ”をすることはあるのですが借りたお金がうまく残った事は
今までにただの一度もありません。これもひとつの証明になるかと思います(笑)
やはり財布の中は「支払い」を早く終えてきれい(清浄)にしておくのが一番かと
思います。そうすれば大金持ちにはなれなくても 生活に困らない程度のお金が自然に
まわってくるはずです。(保証はできませんが・・・)
さて それでは最後に「笑い話」をひとつ!っと言っても これも「はらう」に関係
したことなんですが 「お笑い」は「おわ(は)らい」ではないかとー。(「は」を
「わ」と読むのは珍しいことではない)このことについて解説するとまた長くなるので
この辺で止めておきますが 最近の「テレビのお笑いブーム」、それから医療関係でも
「笑い」の効果が認められて取り入れている所がある、またある地方では「大笑い」をして
その年の厄をはらう、などは「笑う」が「はらう」効果を持つひとつの証明なのかも
しれません。それから昔からよく言いますよね、「笑う(はらう)門に福きたる」っとー。
私の「こだわり」の話がとんでもない話になってきましたが 実は”とんでもない話”の
本題はこれからなのです。しかしこのことについて詳しく述べると この”修理日記”を
何十回も費やさねばならないので 概略を簡単に記しておきます。
「掃く」「拭く」「はらう」等の文字を調べていたとき ”日本語46音の中の
は、ひ、ふ、へ、ほ”すなわち「は行」に特別な<ハタラキ>があることに気づいたの
です。そしてその「は行のハタラキ」をもっと深く調べると 色んなことが判ってきた
のです。
人はどんなとき「癒し」を感じるのか!
笑い声は何故、「は、ひ、ふ、へ、ほ」なのか?
人はなぜ「ヒト」なのか?
車に替わる新しい乗り物のヒントが「は行」に・・・
そして
夜は何故、暗いのか?
星は何故、光を放つのか?
ブラックホールの巨大な引力はー、
宇宙創造に何故、ビッグバンが必要だったのか?
・・・等々。
これで私の「こだわり」は終わります。ビッグバンがどうのこうのはともかく 今日も私は日々の生活の中で「埃」が溜まらないよう、細心の注意を”はらう”のです。(爆)
以上が以前に述べた私の「こだわり」です。
「現宇宙」が「負の世界、負のエネルギー」から生まれ 常に「引き込む力、元に戻る力」が
働いていると仮定すると 現宇宙とか地球上で発生する出来事、また人々の生活のなかで起きる
いろんな現象が説明しやすくなります。
例えば 掃除(はらう)することによって「ヨゴレとケガレ」を取りはらうと元に戻ろうとする
力=清浄化が弱くなりますから 当然トラブルは少なくなります。人は元に戻る現象(清浄化)が
起きる前に「はらう」ことによって元に戻しているのです。だから 毎日掃除をしなければいけない
のです。(笑)
年始の「おはらい」も家を新築するときの「おはらい」も みんな必要なんです。
極端なことを言えば、トラブルは「きれいな状態=清浄な状態」に戻るときに起きる
「状態の変化=現象」ではないか、と思われるのです。
それでは・・
2008年3月16日
こんにちは
きょうは 連載の第15回目を送ります。
* 負の清浄化 *
現在 我々が生活していく上で見ることができる「全ての物」に、また逆に目に見えない「全ての事」に
「フに帰る」力が働いているのではないか?ということを前回までに述べました。そのことをこれから
いろんな事例をあげて証明していきたいと思います。 尚 まことに勝手ながら 「フに帰る事」を
「フッ帰現象」と名付けました。「フッ帰=復帰?=復活?」 (笑)
この「フッ帰現象」が「全ての物・事」に働いているという他に もうひとつ大きな特徴があります。
それは 元に戻そうとする「フの力(パワー)」は「フ=負の世界」から離れれば離れるほど強く
作用することです。例えば我々が住んでいる「正の世界」では 2個の磁石を離せば離すほど
その「引き合う=引き戻す」力は弱くなりますが 「フの力」は逆になります。
離れれば離れるほど、それはあたかもゴムひもを伸ばせば
伸ばすほど「元に戻す力」が強くなるのと同じような力が作用するようです。このことをもっと
具体的に形を使って述べてみましょう。
以前に「フの発生する形」として「∧」と「V」の形を表しておきました。「∧」で述べると
こうなります。「∧」の底辺の長さを変えないで「∧」の高さを変えると 当然「∧」の頂点の
角度は小さくなります。「V」もまた同じことが言えます。
「負のエネルギー」は「刃物・他」で述べたたように角度の小さいものに
強く出る傾向がありますから 「∧」の高さを我々の「物質宇宙」と「負の世界」との距離に当て
はめて考えると、「物質宇宙」の常識では考えられない”距離が離れれば離れるほど作用する力が強く
なる”というとんでもない現象がおきるのです。(地球上の引力も負の引き込む力かも・・・笑)
このように「フに戻る力=フッ帰力」を「全ての物・事に作用している」、またその力は
「離れるほど強く作用する(物質化するほど強く)」と定義したとき 我々の生活で起きる多くの
ことが説明できるようになります。
たとえば 今問題になっている「地球温暖化=環境破壊」と「自然災害」の関係で述べたいと思います。
人類は有史
以来「物質文明」を追求してきました。 もちろんそれ自体は
悪いことではなく、それが「物の開発や進化」を生み、人々の生活を豊かにしてきたのも事実です。しかし
それは自然のサイクルの中(自然の浄化作用の範囲)で行っていればよかったのですが 産業革命以来の
急激な物質生産はその枠を飛び越えてしまったようです。「負の世界」から見ると「より離れた世界」になって
しまったのです。そうなると当然「フッ帰現象」が起きます。それもいままでに我々が経験したことが
ないような強い力でー。
最近、「負のエネルギー」の影響を強く受けている「風;フウ」、「陽、日、火;ヒ」、「水、雨」等が
年毎に強くなってきているのは誰しも感じていることだと思います。
これらから生じる、一般的に「災害」と言われる現象が強くなってきているのは地球の”汚れ”と関係あるようです。
「風で吹きはらい」、「水で
あらい流す」自然現象をひとつの「清浄化現象」ととらえるなら、地球はかなり汚れてきている
のです。
「負の清浄化現象」がこれ以上強くならないように人類はひとつになって工夫しなければいけない時期に来て
いるのは間違いありません。(今日はちょっと真面目な話になってしまいました。・・笑)
ここでちょっと余談になるかもしれませんが清浄化に使われる「火」と「水」の関係に触れておきたいと思います。
「火」と「水」全く反対の性格を持っていて相性が合わないような気がしますが ほんとうは仲の良い兄弟(?)
なのです。南太平洋に注がれた「陽=ヒ=火」は大量の水蒸気と上昇気流を生みます。上昇気流が発生すると
「負圧」になりますから当然周りから空気がなだれこみます。それも渦(ウズ)を巻いて・・。その時
発生した遠心力によってますます負圧が強くなって最終的には台風(フウ)になります。その台風が
移動して風や雨(=水)を運ぶわけです。言い換えるなら「陽=ヒ=火」から「水」が生まれたのです。
「火」と「水」は兄弟と言えるのです。 (笑)
ついでに この機会に「水」について述べてみます。「陽、日、火」も「水」も「負のエネルギー」の
影響を強く受けている物質であることはすでに言いましたが この中でも特に「水」は特異な物質の
ようです。漢字の「水」を見ると「フ」と「く;反フ=ブッシツ」から成り立っています。「水」は
場面によって 「あらう」のような「負」の性格と「鉄砲水」のような「物質的」性格が極端に出る
特殊な存在のようです。ただ これほど「負のエネルギー」の影響を受けているのに
「水;ミズ」はなぜ「ハ行」ではないのか、といつも疑問に思っているのですが いまだにその答えは出て
いません。
でも 「水」を暖めると「風呂:フロ」になるし、もっと「火」にかけると「沸騰;フットウ」となります。
又 水が凍ると「氷=ヒョウ」と言いますから 「ハ行の物質」に間違いはないと思うのですがー。(笑)
それでは・・
2008年3月23日
こんにちは
きょうは 連載の第16回目を送ります。
* お代官様と悪徳商人 *
きょうは目に見える物だけではなく 目に見えない事にも「フッ帰現象」が働くことを
話してみたいと思います。
現代で語ると色々弊害(?)が出そうなので 今日はちょっと趣を変えて 時代を
「江戸時代」にタイムスリップさせてみます。
場所はある料亭の一室
二人のヒソヒソ話が聞こえてきます。
「××屋、米の買占めはすすんでいるかの」
「はい、お代官様 順調に買占めが・・」
「よし、もちろんわしの取り分も大丈夫じゃろうの」
「はい、 お代官様の望まれるように・・」
「よしよし、わしも出世のためになにかと必要だからの」
「手前どもも そのおこぼれをほんの少し・・」
「おぬしも悪じゃの」
などなどと・・・
どうも この二人、民、百姓から過酷な年貢を取りながら その上「米の買占め」で
ひともうけしようとの魂胆。こんなやつは一刀両断したいところですが ここは少し冷静に
なって二人の心理状態を考えてみたいと思います。庶民からみるとこの二人はもう十分な
「地位も富」も得ているから”何をこれ以上・・”っと思えるのですが 二人にとっては
そんなにおだやかな状態ではないようです。庶民を踏み台にして得た「地位と富」ですから
いわゆる「汚れた=ヨゴレタ」状態、「汚れた=ケガレタ」状態なのです。そうすると
フの力、フッ帰現象(清浄化)が強く働きますから 一日として二人は安心して暮らせない
のです。不安(フアン)になるのです。いつか この「地位と富」がくずれていくのでは
ないかと・・。 その不安を取り除くため 二人は益々大きな「地位と富」を築こうと
したようです。そして庶民が生きていくために必要な米の買占めにまで手を出してしまったのです。
もうこうなると事態は最悪です。ある日突然に激しいフッ帰現象が二人に起きます。
いつしか二人の悪事はあばかれ、代官は「地位剥奪;ハクダツ」、「破滅;ハメツ」
への道をたどります。
一方 ××屋も「商売破綻;ハタン」、「破産;ハサン」は避けられません。
このように二人は「汚れた状態」から来る「不安」から逃れようとしたため 返って
逆の方向にー。「より汚れた状態」に向かってしまい 強い清浄化を受けることになります。
このようなフッ帰現象(清浄化)を人は昔からある言葉で言い表しています。
「悪い事をしたから罰(バツ)を受けたとか、バチが当たったとか」、ちなみに
「バ」は「フの力」の強い状態を表しています。では 代官と××屋はどうしたら
よかったのでしょうか? その答えはこうです。
代官は私利私欲を捨て、民衆の幸せのために働けば良かったのです。 また××屋は
人を欺くことなく正直な商いをすればよかったのです。そうすれば代官には民衆からの
後押しが、すなわち「吹き上げる=フキアゲル」力が働き、自然に出世の道が開けた
はずです。 また××屋も自然にお客が集まる状態、すなわち 人が「吹き寄せられる
=フキヨセラレル」状態になったはずです。この結果、代官の家は「繁栄=ハンエイ」し、
××屋は「繁盛=ハンジョウ」間違いなし、っとなるわけです。 (笑)
このように「フの力」による「フッ帰現象=清浄化」は目に見える物だけではなく、
目に見えない事柄にも働くという特徴があります。そして そのことが人々の幸せに
大きく影響しているのです。(詳しくは次回から。)
とにかく こう言っている私も明日から正直に仕事をしないと大変なことになるかもー。 (爆)
それでは・・
2008年3月30日
こんにちは
きょうは 連載の第17回目を送ります。
* 幸せ(幸福)とは・・ *
朝食に一個のパンが出ました。
「えっ!パン一個かよ」と言う人、
「パン一個でもありがたい」と思う人、
人々の幸せに対する価値観は色々あると思います。たぶん 幸せ(幸福)の基準なんてないのかも
しれません。しかし 人は昔から「幸せ」に成りたい、と願い続けてきました。
そして 運良く、この
「幸せ」をはっきり感じるとることができた人も多いはずです。確かに幸せは存在するのです。
形も重さも熱もないのにその存在(パワー)を感じ取ること
ができるこの「幸せ」の特徴は なにか「負の力」の特徴と似ているような気がします。
もし 目に見えない、この「幸せ」を定義付けすることが難しいのなら どんな時に人は「幸せ」を感じる
のかだけでも、少し考えてみたいと思います。
1 何かを得たとき、
2 何もないとき、
3 何かを失ったとき、
ものすごく おおざっぱ(笑)になったので もうすこし具体的に書いて見ます。
1 お金や土地、家や車など目に見える物を得たとき、 また
地位や名誉、信頼や愛情など目に見えないものを得たとき、
2 病気なく健康で、家庭に不和なく、経済的にも問題ないとき、
3 ? ? ?
「1」と「2」は説明しなくともわかってもらえると思います。「1」の幸せは若い時に感じる
ことが多いようです。また 「2」は中年ぐらいの年代になると感じてきます。(笑) っとなると
流れから言うと「3」の幸せは年配になったときに感じることが多くなる、と想像できそうですね。
では 「何かを失ったとき」に「幸せ=幸福」を感じる、なんてことはありえるのか?と聞かれそうー、
違った言葉で言うと 「財布を落として(失って)も幸せか!」と言われそうですが そうでは
ないのです。もちろん「財布を落として幸せ」なんて気分にはなれません。でも こんなことも
あるのです。私には小さな孫がいますが 他のおじちゃん、おばあちゃん方もたぶん気持ちは一緒だと思います。
「この孫のためなら何でも買ってやりたい。車がぶつかりそうになったら 盾になってやりたい」っとー、
自分の全てを失ってもこの孫のためなら・・っと思うわけです。こんな気持ちは孫ほどにはないにしても
困っている友達や病気がちな知人にも同じです。時間や物を失っても相手に少しでも
よくしてあげたい、っという気持ちが「沸々;フツフツ」と湧き上がってくるときがあるのです。
もちろん本人は「自分の幸せ」のためにやっているわけではないのですが 失っても「幸せ」な
気分になれるのです。
では なぜ人は人生を重ねるとこんな気持ちが強くなるのでしょうか。その答えのひとつとして
私はやはり 「フの力」の影響が大きいと考えます。何度も言いますが 現在我々が住んでいる
物質宇宙は膨張(成長)途中です。ゆえに 人もまた若い成長時、物質的な物を求める傾向が強く出ます。
しかし その物質に対してフの「フッ帰力」が働くことも述べました。若い時は生命力(物質力)が
強いのでこの「フッ帰力」はさほど感じないのですが 年を重ねる毎にこの「フッ帰力」が
「負荷;フカ」、「負担;フタン」になってきます。そうすると心情的には 物質はある程度得たから
「何もない状態」=「病気なく(健康で)、家庭に不和なく、経済的にも問題ない状態」の方が
「幸せ」に思えてくるのです。そして もっと年を取るとその思いがさらに進み、他人(ひと)に
与えることの幸せに気づくのです。すなわち「物事」に対する「執着」がなくなりますから
「フッ帰力」も当然弱くなり 心に「平安;ヘイアン」が訪れるのです。上記した三つの「幸せ」を
見ていると「幸せ」とは「状態の変化」があったとき、より強く感じるのでは、と思われてなりません。
また 人は皆、老け(フケ)、
物事すべて風化(フウカ)するのは ある意味、「負の世界」に戻っていくことなのかもしれません。
最近 いろんな方面で人に「施し;ホドコシ」「奉仕;ホウシ」「ボランティア」する方が増えて
きています。心強いかぎりです。(私も見習わないとー。 反省)
それでは・・
2008年4月6日
こんにちは
きょうは 連載の第18回目を送ります。
* 幸せ(幸福)とは・・2 *
前回 人が幸せを感じるときとして 三つの状態をあげておきましたが どれが良いとか、どれが
悪いとかという問題ではないと思います。人それぞれの状況に応じてそれぞれの「幸せ」の状態を
つかめばよいのです。たとえば 「1」の「物質を得る幸せ」を得たいなら 「物質を得る」ように
頑張ればいいのです。人はそれを繰り返すことによって物質の「開発と進歩」を促し ひいては
「人類の文明」を築いてきたのですから・・。ただ 「物質」にはどうしても「ヨゴレ」や「ケガレ」が
付きやすいので なるべくそういうものが付かないように注意する必要があります。
また 「幸せ」は「幸せを感じた」ときが一番強く、
時間がたつにつれて弱くなっていく傾向があるようです。特に「1」の「幸せ」のときはその時間が
短いように思います。それから 「2」の「何もない幸せ」状態ですが 何もしなくてもいいのですから
一見、この幸せが一番楽に手に入りやすいように思えます。しかし 考えようによってはこの「幸せ」を得る
のが 一番むずかしいかもしれません。宇宙も地球も人も常に変化を続けているので 同じ状態を維持
していくのにはかなりの努力が必要となります。そして 私が一番注目しているのが「3」の「何かを失った
とき」に感じる「幸せ」状態です。 言い換えるなら「物質を失ったのに感じる幸せ」です。
もし 我々が住んでいる現宇宙が「物質のみ」でできているのなら「物質の量=幸せの量(大きさ)」、
または「物質の量と幸せの量は比例」しなければいけないはずです。しかし 現実には「物質の量」が
減っても「幸せの量」が減るどころか むしろ逆に「幸せの量」が増えることすらあるのです。これは
何故でしょうか? やはり これは「現宇宙」が「物質のみ」ではできていない有力な証だと思えるのです。
都会の生活を離れ、不便でも田舎生活を楽しむ人が増えています。昔は「都会生活=豊な生活」だった
はずです。また 突然「出家」して「仏門」に入る方もいます。「物質の少ない生活」に自らの身を
置くことによって「物質生活」ではなかなか得られない「心の平安」があるのかもしれません。
私の住んでいる近くに ある有名なお寺さんがあります。このお寺さんは毎年テレビで
真冬の「滝修行」が紹介されます。寒入りのときに六本滝に打たれる信者さんの姿を見るとテレビで
あっても こちらが身震いしそうになります。私なんかは 冬はやっぱりコタツに入ってみかんでも・・(笑)
が一番良い、と思いますが 信者さんにとってはそうではないようです。冷たい滝に打たれることに
よって暖かいコタツでは感じることができない「心の清々しさ」を得ることができるのかもしれません。
このように人は自らの意志で「物質」を手放し、替わりに「不思議な幸せ感」を得ることができるのです。
引っ張ったゴムのような「負の力」から解放されるときにその状態(幸せ)が生まれる、としか考えられないのです。
それでは・・
2008年4月13日
こんにちは
きょうは 連載の第19回目を送ります。
* 不幸せ(不幸)とは・・ *
前回までに「幸せ」について述べました。今回は「幸せ」の反対である「不幸せ=不幸」について
私の考えを述べたいと思います。
「不幸せ=不幸」も「幸せ」と同じく 目に見えないものですから 具体例をあげた方がわかりやすい、
かと思います。例えば
会社を経営していて 商売がうまくいかないときがあります。そんなときは他から「お金」を借りて
何とかしのぐことも多いのですが それでもうまくいかず、結局は倒産することも珍しくありません。
会社をやっている当人には まさしく「不幸な状態」になってしまった、と言えます。こうなると
すべてのものを失うどころか、「負の財産=借金」を背負ってしまいます。(なぜか”背負う”に
”負”が入っている)
こんな状態には誰しもなりたくないのは当たり前ですが ではこんな「不幸な状態」を防ぐことは
できないのでしょうか? 結論から言うとなかなか難しいと思います。ただ こんな考え方は
どうでしょうか。ここでまた いつもの「物質化現象」と「負のフッ帰現象」に登場してもらいます。何度も
言いますが 我々が生活していく上で「物質を求める」ことは避けて通れません。「物質」の
一つの形である「お金」で言えば「お金なくしての生活」はありえません。だから人は一生懸命
働いて「お金」を求めるのです。たくさんのお金が「豊な生活=幸せ」に通じているからです。
しかし たくさんのお金にはまた たくさんの「負の力」も働きます。油断しているとすぐに
お金がなくなってしまいます。
特に他からお金を借りて(借金で)会社を成り立たせるときは かなりの「負の力」を覚悟しなければ
いけないようです。(我社がいい例・・苦笑)
運が悪ければ 前記したように「倒産=破産」になることもあります。「負の力」によって「正の状態=物質状態」から
「負の状態」に変化するのですが 会社をやっている当人には あたかも「負」がやって来たように
感じるでしょう。「負が来る」→「負来る」→「フコウ」・・(ちょっと苦しいかも・・)
「不幸」が襲ってきたときの状況は
走っている電車から見る雨が まるで自分に向かってくるように見える、のと同じ現象と言えるかも
しれません。ほんとうは雨(負)が自分に向かって来るのではないのです。自分が雨(負)に向かっているのです。
「状態の変化」が起きたのです。その原因はゴムのように引っ張られた「負の力」がハジケテ、違う
状態になるからだと思われます。あまりにも強い「フッ帰力」が働いて 「物質がゼロ」の状態を飛び越えて
物質がマイナス(負)の状態にまで運んでしまうのです。このように強い「負の力」による
「急激な状態の変化」が「不幸」の正体ではないかと思われます。ここに「不幸」を防ぐヒントが
あるかも知れません。
1、何かを得たとき
2、何もないとき
3、何かを失った(与えた)とき
4、何かを急激に失ったとき
「1」「2」「3」の幸せに「4」の不幸せを追加してみました。
このように書くと「幸せ」も「不幸せ」も同じ線上にあるように見えるから不思議な気がします。
極端に言うと「幸せ」も「不幸せ」も「癒し」も同じ仲間なのかも知れません。ただ 「物質化現象」と
「フッ帰現象」の「間;ハザマ」の中で「状態の変化」があるだけなのかも知れません。
その例えになるか、どうかはわかりませんが
よく言いますよね。「人生、山あり、谷あり」っと。「山」を「物質化現象」そして「谷」を
「フッ帰現象」ととらえるなら、昔の人は「負の力」を知っていたのではー、っとさえ思います。
「山」が高いほど「谷」が深くなります。また どんなに「谷底」であってもまた「山」が来るのです。
これは「波」でも同じことが言えるでしょう。「山の高さ」を「幸せの価値」として見る人もあるかも知れません。
それはそれでいいのです。自分に合った「幸せ」を見つければ良いのですから。
このように「幸せ」と「不幸せ」のメカニズム(?)が分かってくると 完全に「幸せ」が手に
入るのか、っと言われそうですが 残念ながら そう簡単にはいかないようです。その理由は次回で
述べたいと思います。
それでは・・
2008年4月20日
こんにちは
きょうは 連載の第20回目を送ります。
* 霊(ヒ)の清浄化 *
「物質を得るときの幸せ」、「何もないときの幸せ」、「物質を失う(離した)ときの
幸せ」、「物質を急激に失ったときの不幸せ」、このような色んな状態の変化をうまくコントロールして
いけば 人は「幸せな生活、幸せな人生」を得ることができるはずです。しかし 実際にはそう
うまくはいきません。いろんなトラブルが日々発生します。この大きな原因は「目に見えない世界の
フッ帰現象」が影響しているからだと思われます。
以前に「ビッグバン」が起きたとき 少なくとも三つのものが
生まれたと言いました。「音」「光」「物質」です。前回までに述べた「幸せ、不幸せ」は どちらかと
言うと「物質」の世界での話が多かったはずです。しかし 人はこれもまた以前に言ったように「肉体=
物質」と「霊=ヒ」から成り立っています。「光→霊(ヒ)=目に見えない世界」も有して
いるのです。
そして 「物質」に「負のフッ帰現象=清浄化」が働くように この目に見えない世界(=霊の世界)にも
同じように「負のフッ帰現象=清浄化」が働くようです。むしろこちらの影響の方が大きいかも知れません。
「霊」と言うと難しくなるので「魂」と置き換えてみます。人の「魂」は「再生、転生」を
繰り返して何回も「この世=物質世界?」に生まれて来るという思想があります。もし そうならば
人の肉体は滅んでも「魂」はずーっと生き続けていることになります。その結果、物質生活が色んな
「ヨゴレ、ケガレ」を生むように「霊の世界=魂の世界」もまた同じく「ヨゴレやケガレ」が生じると
言えるようです。いわゆる
「魂の曇り」という状態です。この「魂の曇り」にも「負のフッ帰現象」が起きるのです。ただ やっかいなのは
このことは目に見えない世界のことであり、時間(時代)を超えて起きる世界なので 今の時代に生きている
我々にはなかなかそのことが理解できないことです。前世、前々世にあなたは「魂の曇り」を積んで
きました。なんて言われても納得できるものではありません。確かに昔は今の時代より 争いやいろんな
トラブルが多かったことは歴史を勉強することで想像はできますが それが今の時代に結びついている
ことを証明するのは至難のワザかと思われます。ただ 最近、物質は豊かになったのに 理由(ワケ)の
分からない事故や事件が多発しているのも事実です。人々の心から不安が消えないのも気になるところです。
実はこの「霊の清浄化」をきちんと話をしたいのですが 今の自分では力不足でとてもできそうにありません。ものすごく
奥の深い、かなり「宗教色」の濃い世界になると思われるので このことは「その道の方」におまかせした方がよいと
思っています。ただし もし時間と空間を超えて「霊の曇りと清浄化現象」が ほんとうに存在するのなら今の
私にできる対抗策(?)がひとつあります。それは 「霊の曇り」の大部分が 「人と人」の間で生まれたもの
なら その「曇り」をはらうのもまた「人と人」の関わりの中でしかできないのではないか、という考えから
きています。
もちろん 前世の曇りは前世に戻ってハラエバいいのでしょうが 実際にはそれはできません。っとなると
現世の中で行うしかないのです。言葉で人を傷つけないように注意をはらい、困っている人がいればできる
範囲で助けてあげ、体の不自由な方がいれば そっと手をかしてあげる、そんな生き方が「曇り」を少し
取ってくれるのではー。っと思っています。(実行は伴っていませんが・・笑)
それでは・・
2008年4月27日
こんにちは
きょうは 連載の第21回目を送ります。
* 音の清浄化 *
最近 テレビを見ててちょっと気になるシーンがあったのでお知らせします。
ある女性タレントさんの話
このタレントさん、仕事柄いろんなホテルや旅館で泊まることが多いのですが どうも
他の人より霊感が強いらしく 部屋に入った途端に”何かを”感じることが多いそうです。
そんな時は 神社に参拝するときのように柏手(両手で打つ)を何回も打つそうです。パンッ!
パンッ!っとー。そうするとその音の響き(ヒビキ)がやがて違ってくるとのこと。 音が澄んで
くると言うか、それと同時に部屋から”何かいやな気配”がなくなっていくらしいのです。
そんな状態になってから 安心してくつろぐとのことでした。
確かに神社なんかで柏手を打つと響きが違いますよね、参拝する時の柏手は 参拝を始めますよう、の合図だけだと
私は思っていたのですが どうもそれだけではないようです。
ある横綱の話
取り組みの前に土俵上で”手を打つ”のは”土俵を清めるためである”っと。土俵上をほうきではらい、
塩で清め、その上 音で清めるのです。それほど土俵は神聖な場所であり、またケガや事故の多い
場所でもあるのです。相撲は取り組みから次の取り組みまでけっこう時間がかかるような気がしていましたが
理由(わけ)があったのです。一番一番、念入りな「キヨメ」の時間が必要なようです。
ある山岳宗教の話
外国のある山岳地方の宗教を紹介する番組がありましたが その中で修行者同士が二人で「問答」する
場面がありました。そして一回の「問答」が終わる度に手を”パンッ!パンッ!”と打つのです。見ていると
それは 何かリズムをとっているようにも見えましたが この動作はやはり 言った言葉をはらって新たに
問答を始める意味を持っているように思えました。音で言葉をハラッテいたのです。
このように 「森林浴」や「風呂」で心や身体を「癒す=清める」ように 「音」でもまた「場」を
「清める」ことができるようです。もちろん「言葉」と同じようにどんな「音」でもいいわけでは
ありません。「音」次第では「騒音」にもなる可能性もありますから注意が必要です。
「音で清める」一番簡単な方法は
やはり両手で打つ「柏手」ではないかと思います。それもよく「響く」ようにすればよけいに
効果があるはずです。朝起きたとき、車に乗ったとき、仕事を始めるとき、家に帰ったとき等々、
どんなときでもいいのです。「事」の初めと終わりに手を打てば「大難が小難に、小難が無難に」の
傾向が強くなるはずです。(いつものように保証はありませんが・・笑)
余談になりますが 家の孫(二歳)は今いろんなことにチャレンジ(?)中です。そして何かうまく
出来たときは「言葉」と「拍手=パチパチパチ」で褒めてやります。そうすると表情が生き生きして
すごくうれしそうな笑顔になります。そう言えば、大人でも「拍手」を受けたらすごくうれしく
なりますよね。これも「音がもつ見えない力」の証明になるかも知れません。
それから 昔行われていた「火の用心」の「拍子木」を打つ「音」も 単に火の注意を喚起するだけではなく、
「音のもつ清めの力」を使っていたのかも知れませんが これは当たっていないかもー。
そこで 最後にもうひとつだけ記しておきます。
年の暮れから新年にかけて お寺さんの鐘を突きます。 確か、人間の持っている「百八つの
煩悩(ボンノウ)」を取り払うために 同じ数だけの鐘を突くと聞いたことがあります。遠くから聞こえて来る
鐘の音を聞いていると 本当に一年間で心と身体の中に溜まったものが取り除かれるような気になります。
これも 「音」が持つ「清める力」の効果でしょうか?(ちなみにお寺さんの鐘を 梵鐘=ボンショウ
=ハ行、と言っていたはず。そうすると よくマンガで書いてあるお寺の鐘の音はゴォーンより
ボォーン=ハ行、っと書くべきかも・・・爆)
それでは・・
2008年5月4日
こんにちは
きょうは 連載の第22回目を送ります。
* 身体の清浄化 *
人間の身体はよく「小さな宇宙だ」と言われることがあります。そのことと関係ある話になるか、どうかは
わかりませんが 今日は人の身体にも「清浄化」が起きることを述べてみたいと思います。
私は以前に「車の板金、塗装」の仕事をしていた時期があります。この時に経験したことですが
何ヶ月かに一回、決められたように必ず咳が一週間ほど続きました。それも 大量の痰と鼻水とともにー。ある時
なんかティッシュ7箱も使ったことがあります。とにかく その時は痰を出しても出しても帯のように
続いてくる感じでした。痰が切れないのです。しかし だからと言ってその時 仕事を休んだり、病院へ行って治療を受けるなどは
しませんでした。この咳の原因がある程度わかっていたからです。
ご存知かと思いますが「車の
板金、塗装」の仕事は 削った塗料の粉、新たに塗る塗料の微粒子、塗料を溶かす溶剤など、マスクは
しているとは言うものの かなり身体に悪いものを大量に吸い込む危険性があります。また 一度吸い込んだ
これらのものは容易に体外に排出することはできませ。それが積もり積もった時に、言い換えれば
限界にたっしたとき 身体に「浄化作用」が起きたようです。咳が止まらないという「身体のトラブル」としてー。
咳はイヤなものですが この咳によって肺の空気が排出されると肺の中が真空(負圧)になる
ため、結果として肺の細かい部分に入っている塗料などの異物を引き寄せる効果が期待できます。そして その
引き寄せられた異物が次の咳で体外に排出されたり、痰としての排泄物になるものと思われます。当然
肺にたくさんの身体に悪いものがたまっているときは 咳き込む期間が長くなります。このように 咳は
あたかも「圧縮ポンプ」と「真空ポンプ」の両方を作動させたかのように働いて 肺の中をきれいにする「清浄化
作用」と考えることができます。そして 咳や痰や鼻水が出終わると身体がスッキリするの
です。板金、塗装の仕事をしていたときは 定期的にこのような状態がおきました。
「咳込む状態」が私の身体を「清浄」にするために必要だったのです。そう言えば
タバコの喫煙者から「よく咳が出る」とか
「よく痰がからむ」と言う声を聞きます。これも私の経験した「清浄化」と同じ現象と言えます。
人は「玉(きれいな)のような赤ちゃん」として生まれてから 「物質」を取り入れながら成長をしていきます。どんなに
注意をしていても現代の生活では身体によくない物まで取り込んでしまいます。自然の排泄でそのものを
体外に排出しているときはよいのですが それが体内に溜まってくると いろんな身体のトラブルとして
「清浄化」が始まるようです。軽いうちは自然に体外に排出されるように(例えば汗をかくなど)
工夫すればよいのでしょうが
ある限度を超えると「病気」として「病院」や「お医者さん」の世話にならなければなりません。
このように人の身体もまた 「宇宙」や「地球」と同じように「物質化現象」と「清浄化現象」を繰り返しながら
日々変化を続けています。「風邪」に伴う「熱」や「咳」そして「震え」や「下痢」、また
身体に出る「吹き出物」や「発疹」などは、身体が元に帰ろうとする「清浄化現象」として とらえることが
できるようです。ただ ちょっと心配のは 物質文明が進めば進むほど 空気が汚れるなど身体によくない
ものが増えてきていることです。(ストレスの増加なども同じです) そのためか 「身体の清浄化」がだんだん強く
出てきている傾向があるようです。
長く続いた「連載」も次回で終わる予定です。
それでは・・
2008年5月11日
こんにちは
きょうは 連載の第23回目を送ります。
* こころの清浄化 *
社会や人間関係が複雑になればなるほど「こころの問題」が重要になってきます。
「心が病む」、「心が折れる」、「心がキレル」など色々な表現の仕方が
あるように その原因もさまざまと思われます。心理学の本を1ページも開いたことのない
私にこんな難しい問題を語ることはできませんが 自分自身「心が折れそうになった」経験が
ありますから少しだけ述べてみたいと思います。
若いときのことですから 今にして思えば些細なことだったのでしょうが その当時の
自分にとっては心の中の全てだったような気がします。
社会に出たときの私は「100%完璧主義」でした。目標を立てたら 仕事でもスポーツでも完全に
クリアしないと気が済まない性格だったのです。そのためには寝る時間も食べる時間も惜しむような
生活でした。それはそれなりに充実した日々でもあったのですが・・。しかしそんな無理な生活は長くは
続きませんでした。身体に変調をきたしたのです。しかも生来が「完璧主義者」ですから その症状を
「完璧」に治そうと思ったのが また大きな間違いでした。「症状」にとらわれすぎたため 心の
変調まで抱え込んでしまったのです。詳しいことは個人情報(大笑)の関係で言えませんが 最終的には
「対人関係の緊張」が取れなくなってしまい 心も身体も不安定な状態が続きました。今のように
「心と身体」の限度とかメカニズムが少し分かってくると だいぶコントロールできるように
なったのですが
若いときは とにかく自分の気持ちを満たすことしか考えていなかったようです。弾いていないときの
三味線の弦が切れないよう弛めてあるように またビンのジュースが満タンではなく必ず少し空間が
あるように 自分の心の中に少し「余裕の空間」があったらー、と今思われてなりません。
ただそんな経験をしたからこそ 分かったこともあります。目に見えなくて つかみどころのないこの「心」も
実は非常に「物質的」な性格を持っていることが分かったのです。物質である肉体と同じように頑張れば頑張るほど「疲れ」を
感じることが多くなるし 症状は違いますが「病気」になることもあります。枝のように「折れる」ことも
あれば、配線のように「キレル」こともあります。心にも身体と同じようにヨゴレ(疲れ?)をとる
「清浄化」が必要となる所以です。心と身体は一体化している部分がありますから 身体によい「清浄化」は
心にも良い影響を与えます。「風呂」にゆっくり入るもよし、休日に「山登り」や「森林浴」に出かける
のも良いでしょう! また笑い声の絶えない家族の団欒も最高でしょう! 人はストレスやプレッシャーで
疲れた心の癒し方を自然に取り入れているのです。心の清浄化にも「負の力」が必要なんです。
それではここで 取って置きの「心の清浄化方法」を記しておきます。 例えば トンちゃんが電車の中で
席に座っているとします。そのとき、かなり高齢のおばあちゃんが目の前に現れました。 当然、トン
ちゃんは立ち上がっておばあちゃんに席を譲るはずです。ではこの後どうなるでしょうか、トンちゃんは
30分立っていても 1時間立っていても「疲れ」を感じないはずです。相手を思いやる気持ちと行動が
一瞬にして 心と身体を「清浄な状態」にしてしまったからです。いわゆる「心がはらわれた状態」、
「心が晴れた状態」になったのです。このように「負の清浄化」は波長(?)が合うと「曇りガラス」が
一瞬にして「透明なガラス」になるように「劇的な効果」を見せることがあります。 (逆になかなか
「効果」が出ないこともあります。)このことを見ても他人(ひと)に親切にすることは 自分の
「心と身体」にとってもよいことになります。りっぱな「清浄化」になるはずです。
長く続いた「連載」もこれで終わりにしたいと思います。
黒色(ブラック)の服を着ると何故細く見えるのか? 「かきくけこ」、「さしすせそ」の言霊は?
「ムー大陸」はなぜ沈んだ?
などなど・・、また話する機会があるかもしれません。 それでは 最後にもう一度、事の発端のなった
日本語の46文字を見てみます。
ア | カ | サ | タ | ナ | ハ | マ | ヤ | ラ | ワ |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
イ | キ | シ | チ | ニ | ヒ | ミ | リ | ヲ | |
ウ | ク | ス | ツ | ヌ | フ | ム | ユ | ル | ン |
エ | ケ | セ | テ | ネ | ヘ | メ | レ | ||
オ | コ | ソ | ト | ノ | ホ | モ | ヨ | ロ |
よく見ていると 「ア」にも「イ」にも「ウ」にも・・「フ」が一杯入っているように見えます。
特に 「フ」を中心とした横の列にその傾向が顕著にー。
やはり 「フ」は「フシギ」な「ハタラキ」をしているようです。
(でもトンちゃんは言うでしょうね! ”なんかフに落ちないなあー”っと。・・爆)
それでは・・
2008年5月18日
* あとがき *
「負の世界」の先に何があるのか? 「果てしない」とは? 「無限」とは? などと、時々
考えることが あります。一人で時間をつぶすには最高なんですが ちょっと 自分で自分が
心配になることも・・(大笑)
もちろんこの結論が出るなんてことは期待もしていなかったし、
「果てのないもの」がこの地上にあるはずもないと思っていました。 ところが見つかったの
です。(笑) ただ このこと自体にそんな驚きはなかったのですが そのことを
起点にして想いをめぐらせた結果、とんでもない結論に辿りついてしまいました。「まさか・・」と
いうのがいまの正直な気持ちです。 思い返せば”連載”の
「宇宙誕生」のときに はからずもその一端を書いていたような気がします。
それでは・・